<第四章 植木頭取時代>
次期頭取誕生までの栄光と挫折(11)
1953年7月に福岡銀行の労働争議は終息したが、その翌年には長崎相互銀行が二週間、山梨中央銀行が11日間のストを行なうなど、生活を維持するための賃金闘争が全国で激しく展開されることになり、福岡銀行の労働争議が金融界に与えた影響は計り知れないものがあった。
福岡銀行は労働争議の後遺症が癒える間もなく、それに追い打ちをかけるように石炭から石油への燃料革命により石炭産業が衰退。福岡県内の多くの炭坑が倒産し、多額の不良債権を抱える深刻な経営難に陥った。福岡銀行はその難局を乗り切るため日銀出身者を頭取に迎えて再建を図ることになった。
2005年、日銀OBの寺本清頭取からバトンタッチを受けて、谷正明氏(現ふくおかFG取締役会長兼社長)が頭取に昇格し、50年ぶりに悲願の生え抜き頭取が誕生した。僅か2週間のストではあったがその後遺症は大きく、五代続いた日銀出身者の手から人事権を含む銀行経営全般を取り戻すまで、実に半世紀の歳月を要することになった。
一方維新銀行では福岡銀行の労働争議がストに発展し、深刻な経営危機を招いたことに対する対策が、谷本総務課長代理を中心に話し合われていた。
谷本が福岡銀行の労使関係が悪化した原因を綿密に分析していくと、第一の要因は、経営トップが戦前の封建的な労使関係を踏襲し組合を軽視したことであった。第二の要因は、組合委員長などの幹部との団体交渉を現場責任者に任せきりで、経営トップと懇親の場を設けることや組合幹部を人事面で優遇するなどの労使協調体制が築けなかった点であった。
維新銀行にも当て嵌まることでもあるが、その本当の原因は、
「一般組合員の意見や要望は現場の支店長の責任であり、むしろ行員の不満などが出ないように対応するのが支店長の役目だとする風潮が強く、余程の大問題以外は現場でもみ消すことが多い。結果的には経営側が直接組合員の意見を聞く窓口がなく、行員の不平不満は必然的に組合に吸い上げられ、組合活動が先鋭化したのではないか」
と、谷本は思った。
そのため谷本は、
(1)労使協調した新しい企業内組合を再組織する。
(2)組合に加入する行員は管理職以外の全行員とする。但し、総務部や経営企画部など経営に参画する行員は除外する。
(3)各地区に地区推進役を配置し、地区内の営業推進と共に、組合活動やそれに付随するレクレーションの企画など組合員である一般行員と本部とのパイプ役としての役割を担わせる。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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