<第四章 植木頭取時代>
次期頭取誕生までの栄光と挫折(12)
労務管理についての意見書にもとづく稟議書には、別書きで補足説明がなされていた。それには、以下の内容が書かれていた。
(1)新しい組合の委員長・副委員長・書記長の氏名。
夫々の学歴・人事考課表・人物評が添付され、推薦する理由も細やかに記載されていた。委員長については大卒者としたものの、副委員長・書記長は行員の大半が高卒であることから、高卒者を人選する配慮をしていた。
(2)組合の幹部経験者は人事面で優遇し、将来幹部に登用していくということ。
(3)各地区に地区推進役を配置する目的について。
目的の一つは、一般行員からの様々な意見を聞いて本部にその意見を反映させること。もう一つの目的は、徳川幕府が外様大名を監視するために設置した天領の役割と同様、いわば経営側が放った細作(スパイ)の任務を持たせること。
経営側はこの地区推進役と毎月定例的に会合を持つことにし、営業推進の名目で組合員の動向やその営業姿勢を報告させる新しい組織の導入で、谷本の組合対策の根幹をなす秘策であった。
(4)組合幹部経験者とは、次期組合幹部に誰が相応しいかなどの人事問題を含めて、意見交換の場を毎年定例的に開催し親睦をはかる。
維新銀行では労使協調路線の新しい従業員組合の設立総会が8月下旬に開催され、代議員選挙により経営側が予定していた人物が委員長・副委員長・書記長のポストに選出された。組合への出向と地区推推進役の人事異動が1953年(昭和28年)9月1日付で発令された。経営側が心配した組合の分裂活動もなく、新体制の組合は銀行との協調路線を掲げてスタートすることになった。
将来を約束されて組合の委員長、副委員長、書記長などに選出された組合幹部は、その後重用され出世コースを歩むことになる。
一方、谷本は全銀連などの外部組織と隔絶した、穏健な企業内従業員組合を立ち上げた功績が高く評価され、32才で総務部人事課長に昇進。入行後10年目には37才の若さで総務部次長兼人事課長となり、取締役総務部長に次ぐ部内NO.2となる異例のスピード出世を遂げ、行内で一目置かれる存在となった。
丁度その頃、谷本と親友の兼重周造の実の妹で、谷本が若き日に思いを寄せた山上正代が第五生命の保険外務員として、維新銀行本店に谷本を訪ねて来た。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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