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経済小説

「維新銀行」~第一部 夜明け前(36)
経済小説
2012年5月15日 11:30

<第四章 植木頭取時代>

次期頭取誕生までの栄光と挫折(13)
 
 山上正代の旧姓は兼重で、実家は東南市の繁華街にあり、第11代将軍徳川家斉治下の文化・文政時代に創業した老舗の酒造メーカーであった。
 谷本亮二と正代の兄、兼重周造とは小学校・中学校が同窓で、共に陸軍士官学校に進むほど仲が良かったこともあり、谷本と二歳年下の正代は幼少の頃から顔見知りであった。
 戦局が悪化の一途を辿る1944年の夏、1週間の休暇を与えられた谷本と兼重は故郷の東南市に帰省した。

 女学校に通う正代は明日をも知れぬ乙女心に一条の光りを人知れず谷本に求め、恋慕の情は日に日に増し、兄と一緒に帰省した谷本との出会いを心待ちにするようになった。
 谷本もいつ戦地に出征するかわからない我が身を思うと、自分に好意を寄せる正代を愛おしく思う心の昂ぶりを抑えることができなかった。若い二人にとって相思相愛の感情が芽生えるのにそんなに時間はかからなかった。谷本は正代と会うのを楽しみに、毎日のように兼重の家を訪れていた。

 短い休暇を終えて出立する前日の夕刻、谷本はいつものように兼重の家に立ち寄った。暫く周造と他愛のない話をして過ごし、学徒動員で近くの工場に勤労奉仕に出ていた正代の帰りを待ち受けていたが、5時半を過ぎても戻ってこなかった。正代との別れの挨拶もできず、後ろ髪を引かれる想いで兼重の家を後にした。夕陽が山翳に沈み西空が茜色に染まるなか、谷本は市内を流れる東川の土手沿いの道を、最後の別れを言えなかった正代の顔を思い出しながら実家に向かってゆっくり歩いていた。

 その時、遠くの方からかすかに「亮二さん、亮二さん」と呼ぶ女性の声が聞こえ、後ろを振り返ると、走って来る正代の姿が次第に大きくなって来た。谷本も小走りに来た道を引き返した。再会できた喜びと感慨に、谷本と正代の二人は抱き合ったまま動かなかった。

moon.jpg 谷本の胸に顔をうずめて泣いている正代の涙を優しく手で拭きながら、再び強く抱きしめていた。やがて谷本は正代の肩を抱きかかえながら人気のない川岸に降りていった。辺りはすっかり薄暮となり、谷本は迸る感情を抑えきれず時の立つのも忘れ、正代を強く抱きしめ幾度も唇を重ねた。
 穏やかに流れる川面に映える月の光と満天に鏤められた星の輝きは、今まで味わったことのない幻想的な世界に二人を誘った。正代とこのまま永遠に続いてほしいと思うほど甘美な一時を過ごした谷本は、翌朝早く周造と共に故郷を後にした。これが谷本と正代の最後の逢瀬となった。

(つづく)
【北山 譲】

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「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」


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