<第四章 植木頭取時代>
次期頭取誕生までの栄光と挫折(15)
「なべ底景気」と言われる景気減速を経て、1959年(昭和34年)あたりから再び景気が上向き、その翌年に池田内閣による「所得倍増」をスローガンとした高度経済成長政策が実施されていく。また「東京オリンピック」を控えての公共投資や夢の超特急といわれた東海道新幹線や首都高速道路、東京モノレール、そして黒四ダムといった大型の公共工事が次々に行われたため、後に「岩戸景気」と呼ばれた好景気が1964年(昭和39 年)まで続くことになった。
世の中が好景気に沸き、東京オリンピックを目前にした1963年の夏、突然襲った夫の死に山上正代が受け取った保険金は、幼い二人の子供を育てていくには余りにも少ない金額であった。
正代にとって夫の急逝は辛い日々の連続であった。しかし時が経つにつれ、子供達のためにもまた自分自身のためにもこのままではいけないとの思いが次第に強くなっていった。正代は心機一転思い切って働きに出ることに決めた。
そんな折、正代は主人の死亡保険金を受け取った第五生命の東南支部長から、「保険外務員は営業職で時間が自由であり、契約の多寡によって高収入が得られる」との誘いを受けたのを思い出し、早速第五生命東南支部長に電話を入れた。話がトントン拍子に進み、研修を経た正代は第五生命の保険外務員として働くことになった。
第五生命に入社した当初は、親戚や知人への勧誘である程度の契約を獲得することが出来たが、次第に勧誘する対象者が少なくなり成績は悪くなっていった。丁度その頃、谷本亮二が維新銀行の総務部にいることを聞いた正代は、藁をもすがる気持ちで1965年(昭和40年)1月初旬に維新銀行の本店を訪れた。
若き日の二人の思い出と共に、その後に歩んだ二人の空白の時間は語り尽くせないものがあった。十数年振りに再会を果たした二人にとって忘れられない日となった。
正代は「主人を交通事故で亡くし、第五生命の保険外務員になったが成績が上がらず困っていること」を伝え、谷本へ保険加入者の紹介を切々と訴えた。
谷本は正代の窮状を知り二つ返事で応諾した。幸いなことに維新銀行は毎年100名近く新入行員を採用しており、内定した女子行員や男子行員の名簿は、総務部次長兼人事課長でもある谷本の手元にあった。谷本の協力を取りつけた山上は、次第に第五生命のトップクラスの保険外務員の階段を登っていくことになった。
後に維新銀行にとって前代未聞の「頭取交代劇」が繰り広げられることになるが、その主役は谷本であり、脇役は、谷本が頭取時代に役員に登用された組合出身者達と第五生命の保険外務員となった山上正代である。谷本と組合幹部及び正代との三位一体で繰り広げられるドラマは、正代が谷本を訪ねたこの日から始まることになる。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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