<第四章 植木頭取時代>
次期頭取誕生までの栄光と挫折(16)
労使協調路線の組合が順調に育ったことを受けて、谷本は総務部次長兼人事課長から本店営業部の副支店長に転出。初めて営業店を経験することになったが、3年後には本店長となり、45才という異例の若さで取締役本店長に推薦された。その後東南市にある取締役東南支店長として故郷に戻り、順調に栄光への階段を上って行った。
それと同時に山上は谷本の紹介を受けた取引先の保険獲得により、第五生命の保険外務員の中でも、西部県のトップにランクされるようになっていった。
植木頭取の就任5年後の1979年の秋、東南地区の支店長による定期証書偽造事件が発生し、東南地区の統括責任者となっていた谷本の管理監督責任を問う声が大きく出てくるようになった。
植木は絹田頭取から禅譲を受けて頭取の座に就いた。植木にとっては「下積み生活を続けてやっと勝ち取った地位と名誉である」との自負があった。
その自負を打ち砕く事態が発生した。東南地区の支店長による定期証書偽造事件であった。維新銀行を揺るがす大事件となり、植木頭取の責任も免れないとの見方が役員の間からも囁かれるようになっていった。また植木自身も退任を覚悟せざるを得ない心境になっていた。
しかし翌年5月に開催された取締役会で、議長の絹田会長は居並ぶ役員に対して、「今回の不祥事件におけるけじめをつけることにした。私が代表取締役会長から取締役相談役に、また田口筆頭専務から『責任をとって後進に道を譲りたい』と退任の申し出があり、今回の不祥事件の責任は、私と田口専務の2名が取ることにする。植木頭取は就任してまだ5年であり、維新銀行再建のために今後も全力を尽くして頑張ってほしい。また谷本取締役は地区統括責任者としての責任は重いが、労使協調路線の労働組合を育てた功績の方が、当行にとってはるかに大きいことから不問としたい」と発言。役員全員の賛同を経て行内処分が決定するとともに、植木頭取の続投が決まった。
植木は「自分は軍隊で言う統合参謀本部長であり、維新銀行全体経営戦略の中枢である。経営戦略上の失敗であれば、潔く退任する覚悟は出来ていたが、今回起こった不祥事は地区戦線で発生したものであり、前線の参謀本部長で地区統括責任者である谷本取締役が責任を負って退任すべき」との考えを持っていた。植木は自分の続投を決めた絹田会長には感謝したが、当時東南支店長で同地区の統括責任者であった谷本亮二取締役が何らの責任を問われなかったことに対して、納得はしていなかった。
植木は自分が頭取に就任してから役員候補を選ぶ場合、学閥や依怙贔屓することなく下積みの銀行員生活を経て、自らの実力で這い上がった行員を推薦してきたとの哲学を持っていた。
しかしその実績もなく、ただ「組合設立で多大の貢献した」と絹田に認められて異例の若さで取締役になった谷本に、植木は好感を持つことができなかった。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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