<第四章 植木頭取時代>
次期頭取誕生までの栄光と挫折(17)
絹田会長が定期証書偽造事件の責任をとって取締役相談役に退き、辛うじて頭取職に留まることになった植木は、皮肉にも次第にその地位を不動のものにしていった。
一方谷本も絹田会長の取締役会議における「谷本取締役の責任は不問」との発言を受けて、常務取締役に昇格し、県庁所在地の西京支店長となった。
谷本は1987年(昭和62年)6月、常務から専務取締役に昇格し、十数年振りに本店に戻り営業本部長として采配を振るうことになった。
植木頭取の剛に対して、営業本部長に就任した谷本は柔の姿勢で本部組織を動かす体制を整えていった。行内は次第に谷本専務を次期頭取候補の筆頭に上げる雰囲気が漂うようになった。
谷本が育てた元組合幹部達は順調に頭角を現し、それぞれが維新銀行の主要なポストに就いており、谷本専務の本部長就任に大きな期待を寄せていた。それに呼応するかの如く、本部各部の主要管理職からも、谷本新頭取待望論が燎原の火の如く広がっていった。
谷本の強力な支援を受けた山上正代の保険勧誘は虎の威を借りる狐のように、組合出身の行員達の紹介により、維新銀行全体の取引先に拡大していくことになった。
植木頭取としては谷本を営業本部長に任命したのは後継者として認めたわけではなく、役員異動による定例的なものであると割り切っていたが、谷本は千載一遇のチャンスを生かすために、組合を通じて培った閨閥をフルに活用し、勢力拡大のために全力を傾注していった。
植木頭取は側近の笹川幸男常務から、行内に谷本専務を頭取に担ごうとする不穏な動きがあるとの報告を頻繁に受けるようになった。最初はさして気には止めなかったが、取引先からも「次期頭取は谷本専務」との話が聞かれるようになった。
谷本が営業本部長に就任した当時、日本経済は丁度バブルの走りで、都市部を中心とする地銀各行は、預貸金とも年率10%以上の伸びを見せ収益も大幅な増益を果たしていたが、維新銀行はその波に乗り遅れ、地銀上位行から中位行に転落する厳しい営業成績が続くことになった。
しかし行内では、その業績不振の原因は営業本部長の責任ではなく、植木頭取の厳格な経営姿勢が招いたもので、むしろこの業績不振の責任を取って植木頭取が退陣し、新頭取出現による経営刷新を望む声が出始めるようになった。
行内に漂うそのような声を察知した笹川常務は「谷本専務は2年近く営業本部長をやっているが、業績は他行と比較すると非常に見劣りがします。この際業績不振の責任を取らせて、担当替えするかそれとも退任させた方が良いと思いますが、如何ですか」と植木頭取に提案した。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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