日本は超高齢化時代を迎えようとしている。「高齢社会白書」によると、昨年度65歳以上の高齢者は2,958万人(総人口の23.1%)。団塊の世代が加わる今年度からその割合は急上昇する。一方で、シルバー産業を含んだ「シニア市場」は8兆円にまで膨らみ、この先も最優良市場として期待されている。その陰で多くの高齢者が孤立化を深めている。高齢者が直面している問題を多面的にとらえ、その実情を報告していく。
この話からはじめなければならない。2011年4月、私は、自分が住む埼玉県所沢市の市議選に立候補した。923票を獲得しブービー(定数36、立候補者46人中45位)で落選。66歳(当時)の私を立候補にまで駆り立てたのは何であったのか。それを検証するなかにこの連載をスタートさせた真意がある。
話は7年前に遡る。05年夏、私が住む公的な集合住宅(団地)で2件の孤独死がほぼ同時期に起きた。当時自治会の役員だった私は、現場に間接的ながら立ち会った。その惨状を目の当たりにして、団地全体の問題にすべきと自治会長に進言した。ところが「これは役所と坊主の役割」と一蹴されたのである。
腹の虫が治まらない私は、ノンフィクション作家としての立ち位置をシニアにシフトさせた。高齢者が抱えている多くの問題を表面化させることで、「今という時代に生きる高齢者の実像」を浮き上がらせ、何ものかに突きつけたいという強い思い入れがあった。この時代、高齢者は厄介者としてスポイルされている気がしてならなかったからだ。まず、当時(阪神淡路大震災で)最も注目されていた「孤独死」(厚労省は「孤立死」)をテーマに取りあげ、08年4月、『団地が死んでいく』(平凡社新書)を上梓した。
集合住宅での孤独死は、建て替えに大きく左右されると予測した。そこで、都営戸山団地(建て替えられた団地)、多摩ニュータウン(建て替えを躊躇している団地)、松戸市常盤平(トキワダイラ)団地(建て替えを拒否した団地)を象徴的に選び、3つの異なった団地の状況下で孤独死がどのようにして起こり、いかに回避できたのか(できなかったのか)を検証した。
同時に、私が住む団地内に高齢者が気軽に立ち寄れる居場所作りの拠点として「幸福亭」をオープンさせた。これは拙著の担当者であった平凡社新書編集長・飯野勝己氏(現静岡県立大学準教授)に、「地方にも大山さんのようなジャーナリストが必要とされているんじゃないですか」と軽く挑発され、その場のノリで「面白い」と即答したのが原因だった。
都市部にある団地(公営・UR=旧公団)は、竣工してから30年を越すものが多い。UR常盤平団地のように、今年で築52年という化石のような団地も健在である。団地は地方から出てきた見知らぬ人たちの集合体である。そこには住民数だけの個人史が存在する。
地方には共同体を維持し、相互扶助の精神を共有する掟(絆)があった。それを「結(ユイ)(ユイマール)」「頼母子(タノモシ)講」「仲間」「もやい」などと呼んだ。田植え、稲刈り、屋根葺き、山仕事、道普請、祭りなど、労力を確保するためにともに助け合った。やがて若者は労働力として都市部へ流れ込む。住む場所を移すということは、共同体の絆を断ち切るということである。なかには絆を煩わしく思い、積極的に都会を目ざした人たちも多かった。
彼らが求めた集合住宅は遮蔽性が高く、ドアひとつで外界から完全に独立できた。高倍率を突破して入居できた家族は、他人の目を意識しないで生活可能な団地ライフを謳歌した。あれから数十年、住民も建物も高齢化した。すると、あれほど切望した遮蔽性が、今度は逆に住民の孤立化を生むようになる。そこに見え隠れするのが、孤独死だった。
前述のように私が住む団地で、起きてはならない悲惨な孤独死が起きた。「幸福亭」は一度失った絆(結)を再構築させ、相互扶助の精神を再び作りあげるなかで、高齢住民を孤立からすくい上げるという目的を持つ。8月で5年目に入る。
高齢者の居場所を作るということは、結果として高齢者が置かれている現状を知り、把握するということにつながる。高齢者問題に取り組む先駆的な自治体や組織に学ぶため、私は積極的にネットワークを広げた。このとき拙著で知り合った方々が役に立った。
問題が具体的な形を伴って表面化すれば、当然、解決のため行政(役所)へ問題を提起(要望)することになる。しかし、役所は動かない。「役所の論理」が優先され、一般市民の声は基本的に無視された。
私は諦めなかった。役所の論理をくつがえす最善手は、役所と互して対峙できる立場を獲得することしかない。つまり、市議になることだと思った。この短絡した発想に妻は呆れ果て、当初、相手にさえしてもらえなかった。
決意したのが選挙の半年前。時間がない。軍資金はゼロ。組織も選挙参謀もいない。立候補を決意すること自体無謀だった。選挙の本質も、怖さも知らない、そのときの私はただ熱い思いだけで突っ走ろうとする怖いもの知らずの「暴走老人」だった。
妻の了解をようやく得て、仲間に立候補のことを話すと、意外にも共感を持って迎え入れてくれたのである。ただ、「地盤も、カバンも、看板もない。第一、年をとりすぎている」というのが仲間の本音だったようだ。でも、年齢に関しては不思議と自信があった。「高齢者問題は高齢者でなければ理解できない」という思いこみである。このことは今でも変わりがない。カバン、つまり軍資金に関しては何とかなるのではという楽観的な思いこみがあった。「幸福亭」を立ち上げたときと同様、何とかなるさの気持ちである。
事実、カバンはある人物の意外なひと言から新展開を見せた。それを実行に移すと、不思議なことに約1カ月で予想を超えるカンパが寄せられたのである。その意外なひと言、その方法とは? 激戦の末に敗れ去った選挙戦については、次回で報告したい。
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<プロフィール>
大山眞人(おおやま まひと)
1944年山形市生まれ。早大卒。出版社勤務ののち、ノンフィクション作家。主な著作に、『S病院老人病棟の仲間たち』『取締役宝くじ部長』(文藝春秋)『老いてこそ二人で生きたい』『夢のある「終の棲家」を作りたい』(大和書房)『退学者ゼロ高校 須郷昌徳の「これが教育たい!」』(河出書房新社)『克って勝つー田村亮子を育てた男』(自由現代社)『取締役総務部長 奈良坂龍平』(讀賣新聞社)『悪徳商法』(文春新書)『団地が死んでいく』(平凡社新書)『騙されたがる人たち』(近著・講談社)など。
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