<第四章 植木頭取時代>
次期頭取誕生までの栄光と挫折(20)
絹田元頭取の長男で、御堂銀行から維新銀行に転身し筆頭専務となっていた絹田優作は厳格な植木頭取と違い、父親の絹田に良く似た温厚な性格をしていることから、絹田頭取時代を懐かしむ役員の間からは、絹田専務を次期頭取として期待する声が上がっていた。
植木は絹田専務を退任させるタイミングを見計らっていたが、なかなか実行に移せないでいた。絹田専務の処遇如何によっては役員の一部による造反も懸念されたため、筆頭専務のまま留任させていたが、絹田元相談役の死後4年を経過した今がチャンスと判断して、その影響力を完全に断ち切るために、絹田専務を退任させて監査役に回し、絹田頭取に三顧の礼を持って迎えられた谷本を首都圏本部長へ異動する人事を実行した。
植木の、この人事は、あたかも秀吉が徳川家と姻戚関係にあった北条一族を滅亡させ、家康に江戸城移封を命じた同じように、頭取候補である両者の芽を同時に摘むことが目的であった。
植木と笹川の危惧は徒労に終わり、むしろ順送りの人事と受け取られ、行内に大きな動揺は見られなかった。植木頭取の長年の懸案であった絹田勢力の一掃は、この人事によって成功することになった。
しかし「歴史は繰り返す」との諺の通り、秀吉が家康に天下を取られたと同様に、植木が谷本を首都圏本部長に留任させたことが、後にじっと耐え抜いた谷本に頭取の座を明け渡すことになるとは、この時植木も笹川も思っていなかった。
谷本の首都圏本部長への異動により、本部内に盛り上がった谷本頭取待望論は次第に勢いを失い、次期頭取レースの行方は白紙に戻ることになった。
谷本が本部長に就任した首都圏本部は、情報収集が主要な業務である。首都圏本部が入居している建物は、維新銀行の不動産管理会社が所有しており、1~4階に東京支店が入居。5階に東京事務所があり、その奥の狭い古びた一室が首都圏本部長谷本専務の執務室であった。
首都圏本部および本部長の仕事は、大別すると6つに分けられる。
1つは大蔵省・日銀との折衝である。実際はこのために首都圏本部があると言っても過言ではない、いわゆる大蔵検査(MOF検)や日銀考査の窓口として情報収集だ。2つ目は全銀協・地方銀行協会等を通じて業界動向を収集。3つ目は地元選出の国会議員や西部県の出先機関等との接触。4つ目は首都圏を中心とした大口取引先や大株主の生損保などへの訪問。5つ目は近畿・東海と首都圏の支店長との情報交換。6つ目は研修のために上京してくる行員との面談。
このように交際の範囲は多岐にわたっていたが、大蔵・日銀との折衝窓口の他、営業の実務をサポートする情報収集が目的の部署であった。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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