<第四章 植木頭取時代>
次期頭取誕生までの栄光と挫折(21)
首都圏本部の行員は東京事務所長を含む数名しかいない小所帯であり、首都圏本部長は営業店を直接管理する権限は有していなかった。東京支店には別の取締役支店長が駐在しており、また近畿・東海の各支店も本部直轄であった。維新銀行における首都圏本部長は、あくまでも情報収集を目的とする部署の長であり、見方によればいわゆる窓際族的なポストでもあった。
維新銀行の役員にまで登用してくれた絹田頭取の長男である絹田専務を、結果的に退任させ、自分がその後を引き継ぐことになった谷本は複雑な心境であった。
植木から退任を仄めかされたものの何とか首都圏本部長の座に残ることができた谷本は、臥薪嘗胆の辛い日々を送ることになった。韓信の股くぐりではないが屈辱に耐え、熟し柿が落ちるのをじっと待つ作戦を取らざるを得ない立場に陥った。先に触れたように「秀吉に関東移封を命じられた家康」と同様に、谷本も複雑な境遇と心境であったに違いない。
それを物語るように、谷本の首都圏本部長就任の祝賀会が大阪で営まれ、その酒の席で東京支店から大阪支店の課長代理に昇格した行員に対して、谷本は「おめでとう。良かったな。維新銀行では西から東への転勤は左遷で、東から西への転勤は栄転だ」と、しみじみ語ったことが噂として伝えられた。西の営業本部長の職を解かれ、東の首都圏本部長に左遷させられた自分の身を語った弱気とも取れる発言は、当時谷本が置かれていた立場を物語るエピソードであった。
谷本は、維新銀行中枢の専務取締役営業本部長から、閑職の首都圏本部長へ追いやられたことから、いつ役員を解任されても文句が言える立場ではなくなっていた。
役員の任期は2年である。再任されて首都圏本部長に就任した谷本にとって、この2年間で如何に行内における盤石な地盤を築けるかが、僅かに残された生き残りの道であった。
そのため行内での勢力を維持・拡大するためには、個人で使えるポケットマネー的な金が必要であった。首都圏本部の交際費は、殆どが定例的に開催される大手取引先等との飲食費や慶弔費として予算化されたものであり、谷本が自由に使える交際費は限られていた。
この谷本の窮状に資金援助の手を差し伸べたのは、件の第五生命保険相互会社の女性外務員、山上正代であった。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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