<第五章 谷本次期頭取誕生の軌跡>
協力者たちとの絆(2)
山上の維新銀行を舞台とする保険勧誘は、谷本との1965年(昭和40年)1月初旬における運命的な出会いから始まった。当時維新銀行の総務部次長兼人事課長であった谷本から、100名近い新入行員名簿を渡され、それを足掛かりに保険を勧誘していくことになった。
その名簿によると男子行員は62名で、その内訳は高卒44名、大卒が18名であった。大卒者は地元の西部大学からの採用が多かったが、東京、大阪・京都、九州の国立大や私立大学生であった。また女子行員37名の内、短大生より高卒の方が多かった。
山上にとって都合の良かったのは、採用名簿に記載された新入行員の8割以上が、西部県内の出身者であったことだった。そのため県外出身者を外すと、81名が勧誘の対象であった。
81名のうち維新銀行の本店のある海峡市での採用が一番多く、30名近い人数であった。
そのため山上はまず海峡市から勧誘を始めることにしたが、東南市から100kmを超える海峡市での勧誘は大変であった。それでも名簿を入手した翌日から、山上は朝早く第五生命東南営業部に顔を出し、前日の訪問日誌を支部長あてに提出すると、その足で東南駅から約2時間かかる海峡駅行きの普通電車に乗る日々が続くことになった。
海況駅からさらにバスに乗り替え、名簿を頼りに一軒一軒歩いて訪問していった。バス停から遠く離れた家や細い路地の奥にある家もあり、特に町名変更している訪問先を見つけるのは大変な作業であった。やっと探し当てた家の呼び鈴を何度鳴らしても返事がなく、留守で不在の家も多かった。たとえ在宅であっても、玄関越しに、「どちらさんですか」の問い掛けに、山上が、「第五生命の山上と申します。少しだけお時間を頂けませんでしょうか」と答えると、即座に「間にあっています。お帰り下さい」との返事が返ってきて、門前払いされることがしばしばであった。
雪混じりの寒風が吹きすさぶなか、重い足取りで来た道を引き返す正代にとって、保険勧誘の厳しさを思い知らされる試練の日でもあった。
そんな時でも山上は谷本の好意を思い出し、へこたれることなく勧誘を続けていった。不在の家には、名刺の表に、「○月○日、ご挨拶に参りましたが、ご不在のためまた日を改めてお伺いさせて頂きます。山上正代」と万年筆で丁寧に記入し、第五生命のパンフレットと共にポストに入れて帰ることを決して怠らなかった。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
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