福岡都市圏と北九州都市圏の中間に位置する宗像市。両都市圏のベッドタウンとして発展してきた同市であるが、なかでも近年の発展が著しい赤間地区において、新たなまちづくりが進められようとしている。コンセプトは「健康」・「環境」、そして「癒し」。宗像市の舵取りを担う谷井博美・宗像市長と赤間地区発展の礎を築いた中冨清太氏(日創開発(株)、(株)くりえいと代表取締役)、医師で整形外科医院とスポーツクラブを経営する新庄信英氏の三氏に、「まちづくり」にかける想いなどを語っていただいた。
<豊かな住環境を誇るまち・宗像>
――本日はご多忙のなか、お集まりいただきありがとうございます。今回は赤間地区の開発を中心にお聞きしていきますが、まずは谷井市長から宗像市の現状をお聞かせください。
谷井 ご存知のように、宗像市は福岡市と北九州市の中間にあり、田園都市として緑が多く住環境に恵まれたまちです。そのため、ベッドタウンとして急速に発展し、1981年に宗像町から宗像市に移行しました。また、2003年玄海町と合併し、新制の宗像市となりました。その後、05年に大島村を加え、今に至っています。まちの大きな枠組みは40年ほど前からほとんど変わっていないのですが、人口は大きく伸び、今では約9万6,000人を超えています。合併後の10カ年の総合的なまちづくり計画は、第1期目の仕上げの時期にさしかかり、これから第2期目の計画づくりに入っていくのですが、各地区の良いところを取り入れながら進めていきたいと考えています。
――産業構造はどうなっていますか。
谷井 基幹産業は、農業や水産業の第1次産業です。大規模工場のような大きな企業こそありませんが、旧宗像市時代から住環境を重視するまちづくりを進めてきました。その点では他のまちに負けないしっかりとしたまちづくりができています。たとえば、宗像地区は県内でもっとも対人口比の犯罪発生率が少ない地区ですし、人口動態をみても宗像市全体としてみれば減少していません。保育所の待機児童もゼロですし、現在、80人の増員手続きをしているなど、とても子育てがしやすいまちといえるのではないでしょうか。住環境を重視したまちづくりを行なってきましたが、もちろん産業振興にも力を入れてきました。市税収入は、市民税・固定資産税を中心に約100億円です。
――より良い住環境を求めて多くの人が集まってきたのですね。
谷井 宗像でのまちづくりに携わって10年ほどになりますが、宗像市の住民意識は非常に高いですね。福岡市と北九州市という2つの政令市の中間に位置するためでしょう。私は「宗像ブランド」のひとつと思っていますが、多くの素晴らしい人材が定住してボランティアなどにも積極的に参加し、まちづくりを支えてくれています。
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<プロフィール>
谷井 博美(たにい ひろみ)
宗像市長
1940年5月生まれ
熊本大学法文学部卒業後、1963年に福岡県庁に入庁。福岡県企画振興部長などを経て、1999年に空港周辺整備機構福岡空港事業本部理事に就任。2001年に宗像市副市長(当時、助役)に転じ、2006年に宗像市長に就任。2010年に再選を果たし、現在2期目。
<プロフィール>
中冨 清太(なかとみ きよた)
日創開発(株)・(株)くりえいと代表取締役
1942年1月生まれ
日創開発において、建設業および不動産開発事業に携わる。2000年に完成させた大型複合商業施設「くりえいと宗像」(くりえいと1丁目・2丁目)を成功に導き、11年秋には第二次開発となる「くりえいと3丁目」を完成させた。「くりえいと宗像」の年間集客数は1,000万人を超え、施設およびJR赤間駅周辺では各マンション業者の開発ラッシュが起こるなど、赤間地区活性化の立役者的な存在として知られる。
<プロフィール>
新庄 信英(しんじょう のぶひで)
1956年7月生まれ
医学博士、新庄整形外科医院長、(株)メディカルスポーツライフ研究所代表取締役
山口大学医学部大学院を卒業後、山口大学付属病院、済生会下関総合病院勤務を経て、新庄整形外科医院を開業。05年には「医療とスポーツの融合と調和」を掲げたスポーツクラブ・「快適倶楽部リフレ」を開業した。スポーツドクターとしても知られ、九州共立大学スポーツ学部では客員教授として教鞭を握る。
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