張氏が日本に来て最初に知り合ったのが、パソコンやソフトハウス会社の社長だ。そしてこのことが、張氏のその後の人生を左右することになる。まだ、パソコンが日本からの持ち出しや中国への持ち込みが禁止されていた時代である。
この時、知り合ったパソコンやソフトハウス会社の社長から、「中国人技術者探し」のために、中国への同行を度々頼まれている。北京市政府時代の人脈を活かし、中国科学院見学、北京市のソフトウェア関係の企業(国営企業)の紹介などで、期待された以上の効果を出すことができ、とても感謝されている。
このことが、長城コンサルティングを設立する契機となっている。長城の名前は、「万里の長城」からとっている。学生をしながら、会社を経営し、埼玉大学の研究生から成城大学大学院に入学し修士号を取得した。
長城コンサルティングは、今年で創業26年の日中間のソフトウェア会社、コンサルティング会社である。その張氏が、ライフワークとして、新たに始めるビジネスが長城「IT中文」学院(仮称)だ。
張氏は「自分は、北京師範大学で日本語を専攻し、大学時代に日本語約40万字の資料を翻訳しました。日本に来てからは、パソコン、ソフトウェア会社を経営して26年が経ちました。今、中国語とIT双方の豊富な経験を活かして、日本のコンピュータ会社やソフトウェア会社の皆さんの中国語力向上の為にお役に立ちたいと思っています」と熱く語る。
「IT+中国語」に関して、張氏の経験は筋金入りだ。北京市政府経済委員会時代、日本から来た日本生産性本部のコンサルタントとパソコンセミナーで知り合い、通訳の手伝いを経験する。北京市に戻ってから、今度はコンピュータ講座の講師の補佐・通訳をしている。その時に、日本生産性本部の日本語で書かれたコンピュータのテキストを、中国科学院の技術者と一緒に、中国語に翻訳しているのだ。ガリ版で、BASICのテキストとアセンブラのテキストの2冊を作成している。もしかしたら、これが実践的な、コンピュータ関連テキストの中国語訳本の最初かも知れない。1982年ごろのことである。
さて、長城「IT中文」学院長として、張氏が、日本人に最も知ってもらいたいことは、「麻婆豆腐とさしみの違いです」という。なぜ、それが、日中文化理解にとても大事なのか。次回ご説明したい。
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