家電量販店の7位のコジマは5月28日、創業家出身で筆頭株主(持ち株比率12.25%)の小島章利会長(48)を解任した。同5位のビックカメラの傘下に入ることに反対したからである。かつて業界のトップにあったコジマは、なぜ衰退したのか。最大の要因は、2代目の章利会長が、創業者が持っていたバイタリティを失ったことに尽きる。コジマの凋落は、世の2代目経営者に重大な教訓を残している。
<コジマとヤマダが争ったYKK戦争>
時計の針を巻き戻してみる。1994年夏から、北関東を舞台に「YKK戦争」が勃発した。ヤマダ電機(群馬県高崎市)、コジマ((栃木県宇都宮市))、カトーデンキ(現・ケーズホールディングス、茨城県水戸市)の激安価格での叩き合いは、3社の頭文字をとってYKK戦争と呼ばれた。YKK戦争は、家電業界の流通地図を塗り替えた。
93年、主要家電商品が「オープン価格」へ移行した。メーカーが小売店の売値まで決めていたが、値引き競争を促すために、小売店が売値を決めることができるようになった。オープン価格の解禁を、ビジネスチャンスにしたのが創業者たちだ。
コジマは55年、故・小島勝平氏(07年死去)が宇都宮市で創業。最初の頃は東京・秋葉原でラジオの部品などを買って、宇都宮で売っていた。ヤミ米を東京に持ち込んで売りさばく「担ぎ屋」のおばさんの荷物運びを手伝い、警察に追われたこともあった。家電量販店の創業者がそうであったように、勝平氏もバイタリティ溢れる起業家だった。
YKK戦争は、熾烈を極めたことで知られている。ライバル店のチラシを持参した客に、それより値引きするのは序の口。開店セールでは、1円パソコン、5円テレビが売られた。ヤマダ電機とコジマは対抗心が強く、至るところで火花を散らした。
<価格破壊が全国へ波及>
コジマ、ヤマダの価格破壊は全国へ波及。家電の第2次戦争である。それまで各地に多数の家電量販店があったが、価格破壊の波に呑み込まれて消えていった。
戦後の家電流通は、当初、ナショナル、日立、東芝などメーカー系列店が主流だった。高度成長期に定価販売に挑戦を叩きつけるかたちで登場したのが、大量仕入れ、大量販売による低価格を実現した家電量販店だ。ベスト電器(福岡市)などFC方式の家電店が勃興、系列店は衰退。第1次戦争である。
第1次戦争の勝者はベスト電器。同社は17年間、家電売上高日本一を続けた。しかし、第2次戦争で敗者に転落。FC方式がネックとなり店舗の整理・統合は容易ではなく、価格破壊に太刀打ちできなかった。
第2次戦争の勝者は、YKK戦争を戦い抜いたコジマとヤマダである。「安値日本一への挑戦」をキャッチフレーズに、コジマは全国を席巻。97年、ベスト電器を抜いて家電売上高日本一の座に駆け上がった。コジマのライバルであるヤマダは、97年から郊外型大型店の全国展開を開始した。
| (後) ≫
※記事へのご意見はこちら