<「儒商」胡雪岩と渋沢栄一>
「新安商人」(徽商)すなわち「儒商」としてもっとも有名なのは清末期の実業家である胡雪岩(1823年~1885年)である。安徽省の績渓の出身で、清朝の末期に杭州で起業し上海にまで活動の範囲を広げている。当時、官商として巨万の富を得る一方、清朝政府および臣民に対して寄付など多大な貢献をしている。その結果、官にしか認められていなかった紅頂の帽子と官服を、商人の身分で極少数の特例として拝領したことから、「紅頂商人」とも言われる。
胡雪岩から、17年遅れて、日本でも、正に「儒商」とも言うべき、渋沢栄一(1840年~1931年)が生まれている。慶応大学の創始者福沢諭吉が日本の近代化を政治・教育面で方向付けた人物なら、渋沢栄一は、日本資本主義の父と言われ、「富国日本」の基礎をつくった人物である。
33歳の時、官職(大蔵省)を捨て実業界に飛び込み、東京ガス、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績など500以上の会社設立に関与した。
渋沢栄一は、「道徳経済合一」説を唱え、その名著『論語と算盤』のなかで、「仁義道徳と生産殖利とは、元来ともに進むべきものである・・・」と述べている。企業を発展させ、国全体を豊かにするために、幼い頃に親しんだ『論語』を拠り所に、道徳と経済の一致を心がけている。道徳と経済は、一見釣り合わないように見えるが、実は両立するものであり、利益を求める経済のなかにも道徳が必要であると考えている。
商工業者がその考えに基づき、自分たちの利益の為に経済活動を行なうことが、国や公の利益にもつながるとして自らそのことを実践したのである。きちんと稼いだ金をきちんと使うこと、すなわち社会や国家の仁義道徳を高めるのに使用してこそ、真の「儒商」の社会貢献と説いた。実際、渋沢は経済から引退した後も、東京養育院、日本赤十字社、聖路加国際病院など600余りの公益団体と深く関わっている。
中国の胡雪岩、日本の渋沢栄一と二人の歴史上最も活躍した「儒商」が一衣帯水とは言え、海を隔てて同時代を生きているのが奇妙な、不思議な縁である。文献には、見当たらないが交流があったとしたら、"ロマン"があって面白い。
「儒商」の"誠信"の精神は安徽省民の全体に浸透しているらしい。上海や北京の中国人富裕層の家庭では、住み込みの家政婦を雇うことが多くあるが、その際安徽省出身者は一番人気ということである。
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