<零戦もアルコールで飛んでいた!?>
現代のブラジルを走っているフレックス車は、21世紀に入って、燃費の向上など技術を発展させたが、発酵させたアルコールで車を走らせたり、飛行機を飛ばしたり、エンジンを稼働させる技術は、1930~40年代からすでにあった。その技術を持っていたのは、日本である。
第二次世界大戦の戦時下、資源不足で、車を走らせるガソリンや戦闘機を飛ばす航空燃料が不足していた。終戦間際になると、日本軍は、当時の代表的な戦闘機だった零戦(零式艦上戦闘機)を芋や米ぬかなどから作ったアルコール混合燃料で飛ばす試験をしていたという。60年代に入り、中東で石油が出て1バレル=2~3ドルの時代が到来した時、ガソリンで走る車が主流となり、いつしかアルコールで走る車は忘れ去られていた。
<逆境に立った苦肉の策>
1970年代、世界はオイルショックに見舞われ、73年10月から翌74年1月の間に1バレル=3ドルから11.65ドルに跳ね上がることになる。日本やブラジルも石油不足に悩まされる。当時のブラジルは、まだ現在のような大規模な油田も発見されておらず、多くを輸入に頼っていた。
日本もまた石油不足に困っていたが、このころの日本は、高度経済成長の真っただ中にいた。戦後目覚ましい復活を遂げ、68年にGDPで世界第2位に立ち、多くの外貨を稼いでいた。
一方、ブラジルは、経済発展を遂げる前で、石油を大量に輸入するだけの外貨がなかった。日本は、オイルショックをきっかけに、省エネルギーの技術を磨くに至る。他方で、逆境に立ったブラジルは、石油以外のエネルギー源を探した。「何か手を打たなければ」と知恵を絞り、苦境を乗り切るための打開策を探し回る。ブラジルでたくさん取れる農産物サトウキビからアルコールを作る技術に目を付け、発酵させたアルコール、バイオエタノール燃料を、ガソリンの代わりに使うことを考え出す。石油に頼らないエネルギー転換政策をスタートさせた。
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