<20年遅れの合肥浦東プロジェクト>
筆者が久しぶり和田氏に会ったのは2010年10月のことだった。81歳になっていたが、矍鑠(かくしゃく)としていて意気軒昂であった。「コダマさん!!安徽省に行ったことがありますか?」と切りだしてきた。「えー、過去に1回行ったことがあります。上海に人材を送り出す場所ですね」と応じた。「ところがねー、その安徽省の省都・合肥市では大プロジェクトが進んでいるのですよ!!」と説明してくれた。
筆者なりに頭を巡らした。「中国政府は全国の均質な経済改革を果たすために内陸部の地方都市にも資本の注力を図っている。上海に近い合肥市でも都市の開発が進んでいるのであろう!!」と考えていた。「20年遅れの合肥浦東プロジェクトが具体化されているのです」と和田氏の話が進む。こちらも非常に興味の念が高まってきた。「上海浦東開発で貢献した和田一夫氏のノウハウを『活用したい』という中国人の要人たちがいるのか」と勝手に想像していった。
和田氏の説明の概略はほぼこちらが想像していた通りであった。安徽省及び合肥市政府の関係者から「都市計画の一部の商業施設計画を担って頂きたい」という申し出があったらしい。「福岡・九州の中小企業にも進出のチャンスの可能性がでてきます」と力説された。それならと年開けた2011年2月に「安徽省浦東開発」と銘を打ったシンポジュームを開催した。中国の要人も招請し講演をされ出席者には一定の関心を持たせたことには成功した。
<開発は必ず成功する場所>
和田氏から合肥市へ中小企業使節団を派遣する要請を受けていたので準備をした。だが派遣の期日が定まらない。そこで弊社の大根田編集長と合肥市へ視察に行くことにした。2011年5月のことだ!!上海から新幹線で3時間半、帰りは3時間足らずという交通要所にある。新幹線が伸びたことで交通要所になったという表現が適切だ。5年前までは鉄道で7時間要していたとか!!
歴史的に合肥市は戦略的に重要拠点であった。歴史上のエピソードが蓄積されている。また地元住民の気質は粘り強く真面目で働き者。歴代、レベルの高いリーダーも数多く輩出している。確かに上海浦東と同様の都市再開発も進行していた。まずは手始めに合肥市が【安徽省の上海】に変貌するのは間違いない。日本企業では日立建機が進出していた。合肥プロジェクトは成功する感触を得て帰った。
ところがその後、和田氏から伸展させる返事が来ないまま無為無策に時間が経過してしまった。やはり2001年当時の勢い・迫力を先方に与えることができなかったのか!!残念な限りである。そうするうちに和田氏本人も体調を壊したことで静養を目的に故郷近くに居住をかえた。本人としては体調を整えて再起する熱意は持っている。それにしても妻きみ子さんには頭が下がる。一夫氏を支えて熱海から香港、上海と付添、倒産して帰国、そして飯塚・福岡と渡り歩いて故郷へ戻る。この献信性には感動を覚える。あの全世界でヒットした名ドラマ【おしん】以上だ。
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