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「文楽は日本の誇るエンターテイメント」「道州制についてはこれまで議論ばかり。だから大阪都で実践に」~橋下大阪市長のツイート
政治
2012年7月 9日 17:42

 データ・マックスでは、ツイッターを活用している橋下市長のツイートをまとめて紹介する。
 橋下大阪市長の8日のツイートは以下の通り。


 文楽を守れという自称文化人たちは「文楽は日本の誇る伝統文化だ。大阪発祥の文化だ。文楽を守ることで大阪の都市格が上がる。文楽の予算を削るな!」と言うだけ。こんなの誰でも言える。今の文楽の何が問題なのか、何が課題なのか、それに対して何をしなければいけないのかここを考えるのが政策である。
 文化については行政マンではこれまでやってきたことをやり続けるしかない。予算を継続することしかできない。文化行政を変えようとすると凄まじい反発をくらう。だから行政マンはこれまでやってきたことをとにかく守ろうとする。ゆえに問題点を指摘し是正するのは政治しかできない。

 国の文楽に対する態度は、文化遺産。ゆえに保護。とにかく今のまま保護する。観客が入るかどうかは関係ない。それだったら劇場でする必要はない。博物館に保存すればいい。こういう国の無策が、文楽をダメにした。文楽は保護の対象ではない。日本の誇るエンターテイメントだ。
 エンターテイメントなら観客を集めなければならない。まず文楽がエンターテイメントであることをもう一度再確認すべきだ。もともとは大衆芸能だ。それが変な国策で、エンターテイメントでなくなってしまった。エンターテイメントであると位置付けると課題がはっきりと見える。

 まず観客を集める仕組みになっていない。劇場もマネジメント責任者である文楽協会も演者である技芸員も、観客が集まるかどうかにかかわらず収入が保障される。これでは観客を集めるために必死にならない。保護の対象なので、文楽界はとにかく守ることしか考えない。
 観客が集まることによって、公演の売り上げによって収入が増減するシステムにすることがエンターテイメントのイロハのイだ。そして演出・プロデュース。文楽界や自称文化人の話を聞くと、人形遣い、三味線、大夫の三位一体が・・・の話に必ずなる。そこに演出・プロデュースという観念はまったくない。

 舞台演出や脚本は今までやってきたものが大前提で、それを変えることが悪と捉えられる。保護の対象である以上変えることは悪なのである。しかし映画やドラマ、舞台、テレビ番組に至るまで、すべては演出・プロデュース次第というのはその世界では常識だ。
 どれだけ有名な俳優さん、演技上手の俳優さんを集めても、脚本や演出がまったくだめなら、誰も観ない。文楽に欠けているのここだと思う。文楽がエンターテイメントになっていない。高尚な芸術として保護の対象になってしまっていることが問題の本質だ。しかしこれは技芸員にとって本意ではなさそうだ。

 NHK番組のDVD「この世の名残 夜も名残~杉本博司が挑む曽根崎心中オリジナル~」を観た。杉本氏は世界に名だたる現代美術家。このDVDを観ただけで、杉本文楽を観たいと思った。実際若い観客が大変多く来場したようだ。今やっている古典文楽と舞台演出がまったく異なる。
 人間国宝を含めた技芸員も杉本文楽の演出を、素晴らしく演じていた。舞台美術も観てみたいの一言。古典文楽も、文楽の技術を継承するためには必要なのであろう。しかしエンターテイメントである以上、新規のファンも増やさなければならない。二本立てでいいじゃないか。
 この演出・プロデュースをやるのが文楽協会のはずだ。しかし今の構造上、観客が集まっても集まらなくても収入が保障される。これじゃだめだ。しかも杉本文楽のような企画を、今の文楽協会でできるのか。三谷幸喜さんの三谷文楽も大阪ではやらない。文楽はエンターテイメントだ。その基本に戻るべきだ。

 僕の様々な問題提起に対して、文楽界は「吉本興業じゃあるまいし」と発言したとかしないとか。それが真実なら吉本興業に失礼極まりないし、そもそも文楽は漫才より格上だと思っているのではないか。そういう驕りが文楽をダメにしたのだろう。
 吉本興業は厳しいシステムの中で税に頼らず立派にビジネスを成立させ、大阪のお笑い文化を全国発信してくれている。税を使うどころが、多額の税を納めてもらっている。それは大変厳しい、エンターテイメントの掟のなかでタレントさんが頑張っている。それこそ生きるか死ぬかの競争の中で。
 だからこそ多くの大衆に支持をされお金が集まる。大衆芸能はそういうものだ。文楽も大衆芸能であることを忘れてはならない。そこを忘れたところから文楽の衰退が始まった。文楽はエンターテイメントに戻るべきだ。技芸員の技術は世界に誇れる。文楽に今必要なのは、演出・プロデュースだ。

 文楽は演出次第では新規ファンを増やすことができるだろうし、世界発信もできるであろう。しかし今のままの演出ではダメだろう。もちろん今やっている古典も必要であろう。歌舞伎のように現代に合わせた演出のものもやれば、古典もやるように二本立てにするべきだ。保護対象とする国策から脱するべきだ。

 文楽協会は府市の天下りポスト。適材適所なら良いのですが、そのチェックはありません。
RT @ikedanob: 大阪生まれの古典芸能といえば落語があるが、落語に補助金を出して「落語保存会」に役人が天下って補助金を出したら壊滅するだろう。フリードマンは政府の補助金を「死の接吻」と呼んだ。
池田信夫 blog : 死の接吻 - ライブドアブログ

 7月8日(日)読売新聞4面。~消費税の地方税化に賛否~どうも読売新聞は消費税は国税として死守したいようだ。反対の論拠が大阪都構想での反対論とまったく同じになっている。消費税を地方税化すると地方で格差が生じると言う。だから僕は新しい財政調整制度を作ればいいと言っている。
 現在の地方交付税制度が今の国のシステムの根幹。ここを変えると一気に国のシステムが変わり、各自治体が切磋琢磨して行革に励み、住民の皆さんの責任意識も強固になる。地方交付税制度を新しく作り直すこと。これが国のかたちを変えるセンターピンだ。

 地方が徴収した税を、他の自治体に回すことなどできないという反対論があるが、それをやるのが財政調整制度。国税という衣を纏えば、大阪で徴収された国税は他の地方に配分されている。実態は都市部で上がった税が地方に配分されている。消費税についても都市部で上がったものを地方に回せばいい。
 これは制度を作ればいいだけの問題。日本の官僚は地方交付税制度を作ったのだから、新しい財政調整制度を作れば、地域間格差は是正できる。一番重要なことは、消費税を国税にしても、国のかたちは何も変わらないということ。変えるなら消費税の地方税化。地方交付税制度廃止。新財政調整制度の創設だ。

 7月7日(土)産経新聞社説。維新八策、疑問に応える責任がある。大阪の一ローカル政治グループが出した政治塾テキストについてここまで取り上げてくれて感謝だ。憲法9条について国民投票を間に入れたのは、議論の獲得目標を明確化すべきだからだ。これまでの憲法論議は学者論議で終わっていた。
 議論することが目的で、政治的に実行することはまったく念頭に置いていない。だから戦後、憲法は一度も改正もされずに今に至る。憲法9条についてもいくら議論をしても無駄。それは学者にやらせればいい。国民は9条を変えたいと思っているのかどうか、ここをはっきりさせないとその後が進まない。
 いつまで経っても不毛な神学論争となる。国民投票を間に入れることによって、それぞれの政治勢力は、国民投票の結果を獲得することを目標として論戦することになる。ここで初めて政治論争となる。今の段階で9条についていくら自説を述べても学者の独りよがり研究発表の域を出ない。

 憲法9条について国民的議論とするには、間に国民投票を入れるべきだ。これは物事を進める政治プロセスだ。消費税の地方税化で社会保障の財源はどうするのかというご指摘について。まず国が担う社会保障と地方が担う社会保障を峻別すべき。地方分権と皆が口にするのに一向に進まない。

 権限の移譲から入ると権限を持っている方は抵抗する。だから金の移譲から入る。金がなければ仕事はできない。だから消費税を地方税化するにあたって、地方で責任を持ってもらうべき社会保障は地方に任せればいい。消費税を地方税化すると国の財源がなくなるという主張は地方分権を全く前提としていない
 国が担うべき社会保障と地方が担うべき社会保障を精査・峻別し、権限と責任をはっきりさせるべきだ。そして国が担うべき社会保障は所得税や法人税などの応納税で賄うべき。僕は国の仕事と地方の仕事の役割分担をはっきりとさせる国のシステムを目指している。

 国は国全体の通貨政策、金融政策、マクロ経済政策の責任を負う。ゆえに法人税、所得税の税収が上がるかどうかは国の責任となる。税率を上げて税収を増やすのか、政策で景気を良くして税収を増やすのか。これこそ国の責任だ。
 だから国が担うべき社会保障、これは所得の再分配としての社会保障が中心となるが、この財源は所得税法人税で何とかすべき。消費税を地方税にするなら、国が抱えている仕事も地方に移すべき。財源が足りなくなるということではなく、これでバランスできるような国と地方の役割分担にすべきなのである。

 ベーシックインカムについてはもう少し八策を見て欲しい。一律現金給付ではない。ベーシックインカムの考え方を導入ということだ。年金と生活保護と失業保険のバランスをとること。そして課税後所得を一定の最低生活保障と考え、一体いくらの所得を保障すべきなのかを考えること。
 このような考えを指してベーシックインカム的な考えを導入とした。現金を一律に給付するわけではない。年金の掛け金を払い続けても、生活保護の保護費の方がはるかに高い。これでは年金制度からどんどん離れていく。最後は生活保護でいいやんかとなってしまう。ここをどうするかだ。

 原発政策については産経新聞とは全く考えが異なる。産経新聞が原発推進を言うなら、使用済み核燃料問題をどうすべきか産経の考えを明示すべきだ。その考えを出した瞬間、全国民から総スカンを食らうだろう。だから誰も触れない。
 いったいどこに中間貯蔵地と最終処分地を設けるのか、ここをはっきりさせてから原発推進を言うべきだ。自然界の放射線量と比べてまったく問題ない岩手県のがれきを受けるだけでも膨大な政治行政エネルギーが必要になる。大阪市で3回住民説明会をやった。大変な作業だ。
 原発推進を言うなら、どこに最終処分地を作るべきなのか、そしてその住民の理解を得る努力をした上で言うべきだ。原発推進を言うのは簡単。しかし、住民と直接向き合い、最終処分地を決めるのは、今の民主主義レベルの日本なら政治的に不可能だ。新興国と日本では民主主義のレベルが違う。

 国会議員で原発推進を言う人は、住民説明会をやったことがない人だろう。原発推進を言う国会議員に、最終処分地確定の汗をかいてもらうべき。その負担が来た途端に原発推進を言う国会議員はいなくなるだろう。それでもやるという国会議員は立派だが、言うだけでなく最終処分地を決めてもらいたい。

 また6日(金)に国会事故調の報告書が出たが、あれを見る限り、日本において原発施設を抱えるだけの体制は整っていない。これは体質の問題だ。日本の政治行政では原発施設を監視コントロールはできない。また日本において原発についての専門家の権威はまったくなくなった。
 何かの政策においては必ず賛否両論がある。そして専門性が高まるに従って専門家の権威が重要になる。権威の基礎は信頼だ。権力は力だが権威は信頼だ。国会事故調の報告書を見る限り、原発について専門家の権威は日本においてまったくない。今は専門家が好き勝手なことを言っている状況。

 こんな状況下で、極めて高度な専門的知見必要とする原発について、どんどん推進することなどできない。もんじゅなどは不可能と言われた夢の技術。日本はそれに挑戦し続けた。それは立派なこと。そうであれば、不可能と言われる新しい電力供給体制に挑戦し直せばいい。
 どうせ不可能で困難なことに挑戦するなら、これまでやってきたことではなく、新しい挑戦に舵を切るべきだ。これが僕の政治感覚だ。原発を推進せず、火力もガンガン使えない。そのときにどうやって電力エネルギーを賄うのか。こういういことにこそ、日本国は力を発揮する。
 あの焼け野原からここまでのし上がった日本国だ。世界が羨みびっくりするような新しいエネルギー供給体制、消費体制の国家を作ることができるはずだ。この点8日読売新聞1面のJR東海の葛西さんの意見にはがっかりした。原発推進というなら使用済み核燃料の最終処分地をJR東海で何とかして欲しい。

 また政治と行政の役割分担についてのご認識も、一時代前のもののように感じる。葛西さんは政治課題に必ず正解があることを前提としている。葛西さんにとっては原発推進が正解なのであろう。一企業の社長ならそれでよい。社長が決めたことが正解だ。
 しかし国家の政治課題は一企業の社長が決めたことが正解ではない。様々な意見が無限大にある。原発問題一つとっても正解は分からない。その中で一つの道を選ぶのが政治である。今回の民主党の政治決定に葛西さんは反対なのであろう。それはご意見として結構だ。しかし官僚が決めればいいはいただけない。
 困難な課題になればなるほど決定は政治がやらなくてはならない。困難な課題になればなるほど官僚は選択肢を作ることに役割を徹するべきだ。なぜなら物事の判断には必ず失敗がある。失敗したときに国民がどう納得し諦めることができるかだ。

 もし今の民主党の電力政策に間違いがあれば、国民は民主党に文句を言いながら、場合によっては選挙で政権交代させ、最終的にはそういう民主党を選んだ自分たちの責任だということで納得せざるを得ない。これが官僚の失敗だとそうはいかない。良い例がゆとり教育だ。
 寺脇氏はゆとり教育が正解だと信じ、今もゆとり教育は正しいと言っている。僕は寺脇氏がやったゆとり教育は大失敗だと思っている。しかし、これ官僚が決めたことに関しては是正する措置もないし、責任追及の場がない。ずっともやもや感が漂ったまま。寺脇氏は相変わらず間違いを認めないし。

 困難な問題ほど、意見が割れる問題ほど、政治家が決定しなければならない。それは失敗したときの国民の納得のために。JR東海は、経営陣が方針を決めても、事業部局が経営陣の方針を覆すことを認めているのだろうか?事業部局が決めたことで失敗したら株主は納得できない。
 株主は自分たちが選んだ取締役陣だからこそ、判断に失敗しても納得するのである。その場合は経営陣を変えるか、株主代表訴訟で対応しながら納得する。責任を負う者が決定しなければならない。だから、事業部局は様々な選択肢を提示するも、最後の決定は社長がやるはずだ。

 政治行政の世界も同じ。政治家は国民に直接責任を負うべき経営陣。官僚は国民に直接責任を負わない事業部局。官僚は様々な選択肢を政治家に提示し、様々な専門的知見を助言する。しかし政治家をチェックするのは、国民であり政治家である。政治家のチェックは政治家がやるべきなのである。
 政治家のチェックを官僚がやるというのは、一時代前の政治行政の仕組みだろう。しかしこのように言われてしまう政治家も情けない。それは政治家がやるべきことをやってこなかったからだ。葛西さんのご意見はこれまでの政治家のだらしなさへの叱咤だと受け止めたい。

 しかし官僚が政治家をチェックするのは違う。こんなことを許せば政治家の決定に従わなくてもいいとなる。官僚機構は優秀だ。しかし政治をチェックするのは、政治家であり国民である。葛西さんの意見が唯一の正解ではない。分からない正解の中から一つを決めるのが政治である。

 竹中平蔵先生の秘書を務められた真柄昭宏氏から著書を頂きました。真柄さん、初めまして。ありがとうございます。読みましたが褒め殺しです。ただツイッターはいつの間にやら僕の重要な発信ツールとなりました。真柄さんの著書で僕のツイートを体系立てて下さり感謝です。
 真柄さんの著書のテーマである、政治とは正解が分からない中で一つを選択するプロセスということは、まったく同感です。僕もそこを実体験しながら、政治と行政の役割分担、統治機構のあり方、政治決定のプロセスについて考えが進化していきました。

 そして好例だと思い、JR葛西さんの読売新聞の意見についてコメントしました。政治課題には正解が分からないものばかり。葛西さんは原発推進が一つの正解だという前提で政治と行政の在り方を規定し、自分の考えとは違う政治決定に対しては官僚機構が反対すべきだったと言われています。
 これは大変危険な見解。原発推進には反対の意見も多数ある。反対派からすれば官僚機構が原発を推進したらとんでもないということになります。葛西さんは自分の意見に引きずられて、政治と行政の在り方を規定してしまいました。これは大間違いです。

 どのような政治決定でも決まったものについて官慮機構は従わざるを得ない。嫌なら公務員を辞めればいいだけ。政治と行政の在り方は組織論であって、価値中立の話。葛西さんは、自分が賛成する政治家の政治決定について、官僚が命をかけて反対してきた場合にはどうするのだろう?
 自分の意見に反対の官僚の行動には、政治家の意見に従え!とでも言うのであろうか?それじゃ、結局自分の意見をとにかくやれと言うだけになってしまう。決定までのプロセスで官僚が意見を言うのは当たり前だし、選択肢を提示するのが使命。
 しかし決定されてしまえば、それは官僚が命を賭してまで抵抗すべきだったとは言ってはならない。(政府に入っている)政治と行政は一つの組織である。決定は政治の権限と責任である。原発反対派から見たら官僚が政治決定に反抗したら許されない。最後はその政治決定について国民が選挙で審判を下すのみ。

 しつこいですが、読売新聞さん。そんな新しい財政調整制度なんかできるのか?と言われたいでしょうが、それをまず大阪で実践するのが大阪都構想。24区を再編し、独立させるので、新たな財政調整制度を作らなくちゃいけない。ここが勝負。大阪都構想は国の形を変える一里塚。

 これまで市長と本庁が権限と財源を持っていたが、それを区役所に移すことは地方分権そのもの。そして新たな財政調整制度の構築。府と市の整理は、広域行政と基礎自治行政の整理。この実践を国全体に拡大すると道州制となる。道州制についてはこれまで議論ばかり。だから大阪都で実践に入る。

(8日15時7分~17時22分)

Twitter:橋下徹 (t_ishin) より引用


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