<金融危機とリビア危機>
フランスの銀行と欧州金融危機、そして2011年に沸き起こった「アラブの春」との関係について述べよう。
08年にリーマン・ショックを引き起こした端緒となった金融危機が最初に明るみに出たのは、07年8月にBNPパリバの傘下の2つのヘッジファンドが閉鎖されたというニュースが世界を駆けめぐったときだった。このとき、欧州中央銀行は危機を防ぐべく、大量の資金供給を決断、フランス人のジャン=クロード・トリシェECB総裁は危機を防いだと讃えられた。
BNPとソジェン、金融危機以後の仏2大銀行の命運は分かれる。
まずソジェンは、08年に入るなり、所属のトレーダーが49億ドルにのぼる巨額の損失隠しをしていたことが発覚するトラブルに見まわれ、当時のCEOだったボートンは責任をとって会長職に追いやられ、公的支援を受けるに至った。
一方、BNPパリバは、リーマン・ショック以降の世界金融危機により経営破綻が危ぶまれた、ベルギーの金融機関フォルティスを買収する。フォルティスはベルギーの老舗金融機関であったが、この結果、BNPの金融網はベルギー・ルクセンブルクにまでおよんだ。このとき、フォルティスのオランダ部門だけはオランダの老舗銀行ABNアムロが買収したものの、BNPパリバは金融危機で最も「焼け太り」した銀行であると言えるだろう。
ただ、リーマン・ショックの次にやってきた欧州債務危機では、仏2大銀行は影響はなしとは言えなかった。11年末の段階で、BNPパリバはユーロ南欧圏の国債の持ち高を圧縮するなどの対応に追われている。
また、中東・北アフリカ地域が旧植民地であったこともあり、フランスの金融機関は歴史的にこの地域に積極的に進出している。BNPパリバはリビアのサハラ銀行に07年に出資を決めているほか、トルコ経済銀行も株主として出資している。
ここで問題になるのは、BNPやソシエテ・ジェネラルのような仏銀行だけではなく、クレディ・スイスやゴールドマン・サックス、英HSBCなどの欧米の大銀行がリビアの国家ファンドであるリビア投資庁(LIA)の資産を預かって運用していたが、リーマン・ショック以降の金融危機にともなう株価暴落で巨額の損失を与えていたことが、リビア戦争のさなかに発覚したことである。
ロシアのメディアなどでは、公然と「これこそがリビアのカダフィ政権の『追い落とし』の背景にある」と指摘している。もともとブッシュ政権では、カダフィ大佐は大量破壊兵器を放棄するなど欧米との宥和ムードが高まっており、欧米金融機関やファンドはリビアを投資先としてかなり注目していた。
それが、金融危機以後は、リビア投資庁の巨額損失とともにカダフィ大佐が突如、欧米諸国の敵として宣伝されるようになったのはたしかに不可解だ。リビア空爆には、リビア投資庁に損失を与えた英、仏、米の戦闘機や無人戦闘機が参加している。
深い闇がありそうだ――。
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<プロフィール>
中田 安彦 (なかた やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などがある。
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