<ネクスト・キャピタル・パートナーズは所詮、不動産屋と一緒>
2011年秋口から、N社は2012年6月期を見越して「出口戦略の具体化」の動きを開始しだした。07年1月にさとうベネックに出資したから、5年の年月が過ぎている。勝負するにはギリギリのところに来ていた。
N社は、ある証券会社にM&Aのコンサルを依頼した。その会社の担当者は、軽薄そのものだった。「さとうベネックはいらんかね―」と飛び廻ったことから、一転して「いよいよさとうベネックは売られるぞ」と評判になった。
「12億円でどうか」から始まって「14億円だ、15億円だ」と値上げをしてきた。「12億円なら」とその気になりかけていたA社長は、「ふざけるな!!最初は12億円と言っておいて、次は14億円とは何事か!!」と怒った。この阿保な担当者の動きが周囲に漏れた。さとうベネックの社員たちは、「いよいよ我が社は売りに出されるな」と不安を抱いた。中堅社員たちは、この時点で再就職先を探すことを覚悟したようだ。この社員たちの不安を増長させた責任は、「社員のために覚悟する」と宣言していた紫原社長にある。
筆者も地元のゼネコンから【M&A】の要請があった。「さとうベネックさんと弊社では持ち味が違います。相互の特性をカバーし合えば、最高の力を発揮できる新生ゼネコンの誕生が可能です」と頼まれた。こういう宿題があれば、必死に応えることが情報マンの宿命だ。使命感に燃えて、N社の本坊副社長に商談に行った(詳細は過去既報済み)。
「あまり欲をかかない方がいいですよ。12億円であれば、九州のゼネコンが嘱望しています。さとうベネックの社員たちにとっても、働きやすい環境ですよ。御社の仕込み代が7億円くらいと査定していますが、5億円儲かれば良いではありませんか」と、こちらの依頼者側の希望を提示した。
だが、本坊氏は高飛車であった。「いやー14億円が売り値のスタートです。上場会社も買いに来ています。仮にもう一度、資本ファンドを組成できるとするならば、私はさとうベネックが欲しいですね。この会社は魅力ありますよ」と熱弁を振るって自画自賛をした。結果は、ダイセンビルディング・大川義廣氏が購入した。本坊氏が吹いた前評判は、脆くも崩れた。上場会社はどこも相手をしなかったのである。
N社のHPには、「ネクスト・キャピタル・パートナーズは付加価値と活力の正の連鎖を企業の皆様と共に創造します」と高らかに理念を謳っている。現実はどうなのか!!手放して4カ月半なのに、さとうベネックの問い合わせが殺到している現状をどう見るのか。理想の買い手が現れずに、14億円に目が眩み転売した。「後のことは知ったことか」という高き値で転がす不動産屋の性根と同一である。まー金融屋は所詮、不動産屋と同質の体質を有しているのだ。
ついでに補足しておく。N社は今後どうなるのか。N社のHPにも新しい情報の更新がなされていない。企業再生の案件の新たな仕込みがなされていないと見る。金融機関も関連会社で企業再生コンサル会社を稼働させている。そうなると、N社もそう易々と新規の案件の落札は困難になる。N社の企業再生ビジネスを、【間隙ビジネス・目眩ましビジネス】と皮肉ってきた。N社も新しい方向に転ずることが問われている。筆者が再生請負人で、N社を立て直してあげようか!!
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