東京電力の勝俣恒久前会長は今年6月27日の株主総会を機に退任したが、退任後も「社友」という形で東電経営ににらみを利かすつもりでいた。東電が実質国有化され、政府が選んだ新経営陣――下河辺和彦会長(原子力損害賠償支援機構運営委員長)と5人の社外取締役が送り込まれたというのに、東電のドンはなおも電力支配をあきらめきれなかった。
6月27日の株主総会によって新たに発足した下河辺体制の初めての取締役会が同日午後、開かれた。すると就任して間もない社外取締役がやにわに「コーポレート・ガバナンスをどう強化していくか、そこが一番問われる問題です」と問題提起し、「社友のあり方について考えなおしてほしい」と緊急動議した。
東電は3月、顧問制度を廃止し、原発爆発時の社長だった清水正孝氏ら11人の顧問全員が退任した。11人の顧問のうち清水氏ら3人は無給だったが、8人には合計7,700万円の報酬があった(1人あたり平均962万円)。東電本店そばの高層ビルの上層階に各人専用の個室があり、秘書と社有車が供されている。とくだん仕事があるわけでもなく、いわば悠々自適の名誉職である。原発爆発企業の東電が、事故後1年たってもそんな非常識な制度を有し続けていたこと自体が、驚きである。
この顧問制度は3月で廃止されたが、勝俣氏は社友として毎日、新宿区の自宅から内幸町の東電本店まで通勤するつもりでいた。親しい財界人には「会長退任後も毎日会社に行きますよ」と話している。そんな勝俣氏のために、東電は社友室を供与し、社友共有の秘書と自動車を提供する手はずを整えていた。勝俣氏は辞めても東電と縁をきるつもりはさらさらなかったのだ。それは秀才ぞろいの受験エリート出身の兄弟(勝俣三兄弟といわれ、長兄は新日鉄副社長に、末弟は丸紅会長に出世している)というお育ちに由来する彼特有の真面目さのあらわれであったのかもしれなかったが、自分が手塩に育ててきた東電本店中枢のエリート部門である企画部の後輩や部下たちににらみを利かせ、電力業界にはズブの素人の下河辺会長が舵取りを誤ることがないよう監視する意図もあっただろう。
そんな思惑を妨げようと機先を制したのが、この日の取締役会の緊急動議だった。もちろん社外取締役が個人でそこまで考え付くとは考えにくい。勝俣氏にしてやられることが多く、業を煮やしていた原賠機構の入れ知恵や振り付けがあっただろう。それは原賠機構に人を送り込んでコントロールしている経産省の意向、すなわち枝野幸男経産相の意思でもあった。
結局、緊急動議は「社友に車や秘書を供するのはおかしい」という声が大勢を占め、今後は社友に車と秘書、部屋を提供しないことが取締役会で決議された。下河辺会長は「今後は対外的に社友という呼称を積極的に使われるのは控えていただきましょう」と語り、事実上勝俣氏を封圧した。社友制度のあり方自体、すなわち適否についても継続的に取締役会で協議することにした。つまりは勝俣氏の放逐だった。
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