<やはり何かを「持っている」>
2000年代に入ると、秋葉原はさらなる変革期を迎える。JR秋葉原駅周辺は大きく変わることになる。
秋葉原駅の西側には、神田市場があったが、89年に大田区に移動。東側には、JR貨物の広大なスペースがあったが、ここも、75年に廃止され、使われずに跡地となっていた。たまたま、場所が空いていた。
都市が発展していくにあたって、何らかの運は必要だが、秋葉原は、何かの「幸運を持っている」。つくばエクスプレスの乗り入れが決まり、東京都や千代田区を中心に、秋葉原を再開発しようという機運が高まった。千代田区のまちづくり推進部の担当者は、「都市や地域の持っている運もあるのだと思います」と話す。秋葉原に、現在のように秋葉原UDX、ダイビル、ヨドバシカメラなど大規模な商業施設がいくつも入ったのも、たまたまスペースが空いていたという運にも恵まれたからだ。
<裏方として支える地域の人の存在>
02年、大々的な再開発に向けて、「みんなで話し合う場を持とう」と、行政や地元町会が中心となり、「秋葉原駅付近地区まちづくり推進協議会」を作った。「千代田区や東京都の行政を含め、一つにテーブルに着くための場を設けました。区や都、地域の町会から開発業者までが集まって、秋葉原の継続的な魅力を向上させていくための組織を作った」と、千代田区まちづくり推進部の担当者は語る。持続的に街の魅力を発信していこうという組織だ。都や区の行政と地域が連携を取っている秋葉原の協議会ほどに規模が大きいのは、全国的に見ても珍しい。秋葉原タウンマネジメント(通称・TMO)という会社を作り、秋葉原の特性を生かしながら発展させていく事業をスタートさせた。TMOが核となり、地域の防犯パトロール、歩行者天国の運営など、アキバの盛り上がりを裏方として支えている。
08年、殺傷事件が起こり、秋葉原のイメージは大きく下がった。再び地域は、結束を強めるために、話し合いの場を設け、「安心・安全」を高めていく努力をする。自分たちの街についてもう一度、考えようと地域が団結し、行政任せでなく、積極的に地域が軸となって、街の活気をよみがえらせた。千代田区も人、モノ、金を出して協力。行政と地域がバランスよく連携し、公共空間をうまく使い、にぎわいを創出している。
防犯パトロールなどにもきっちり「労力」をかけている。千代田区のまちづくり推進部の担当者は「地域の方が主体となって人数を集めて、パトロールをやっている。秋葉原という街が好きで"人を出す"という労力と、時間をかけて、いい街にしていこうとしている。いかに行政側がお金を出して、組織だけを作っても、そこにいる人の情熱がなかったら街の盛り上がりは作り出せない」と語る。今の秋葉原のにぎわいも、下から支える地域の努力と労力があってこそだ。
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