「千鳥饅頭」「チロリアン」など福岡を代表する土産菓子を手がける「千鳥屋」の経営者一族は、かつて遺産相続をめぐりトラブルが発生。当事者の1つの(株)千鳥饅頭総本舗の3人の息子たちは結束し、過去のトラブルを反面教師に一致団結するかに見られていた。しかし、パン業態の存廃をめぐって意見が対立。1人が決別する事態となった。
<消費者の混乱を招くポイントカードの存在>
筆者が「千鳥屋」の店舗で買い物をした際に、「無料でポイントカードをおつくりできますが、いかがですか?」と声をかけられた。「どこの"千鳥屋"でも使えるのか」と聞いたところ、店員からチラシをわたされ、「チラシの店舗一覧に掲載のある店舗なら使えます」という説明をされた。
筆者が訪れた店は、(株)千鳥饅頭総本舗が経営する店舗である。実は、福岡には2種類の「千鳥屋」が存在する。それは、同社および(株)チロリアンがそれぞれ経営する店舗である。千鳥饅頭総本舗の経営する店舗が41店舗、チロリアンが経営する店舗は66店舗あり、混在している。そのため、千鳥饅頭総本舗が発行するカードは、チロリアンが経営する店舗では使用できないのだ。
しかし、2つの「千鳥屋」が存在することを知る消費者は少ない。それぞれ、菓子や店舗イメージも酷似しているからだ。両方の商品を購入したうえで、よくよく見比べればパッケージが違うことに気づくかもしれない――というレベルである。通常の消費者であれば、2つの「千鳥屋」を比べることなどしないであろうから、2種類の「千鳥屋」が存在することには気づかないだろう。
なお、このポイントカード自体には使用可能な店舗一覧の記載がないが、あえてポイントカードから使用可能店舗の記載を外しているのかと思いたくなる。
<「千鳥屋」が複数存在>
「千鳥屋」は、1630(寛永7)年に現・佐賀市久保田町で創業。当時は「松月堂」の名称で、丸ボーロやカステラを専門につくっていた。その後、筑豊炭田で賑わっていた飯塚に目を付け、1927年に松月堂の支店として「千鳥屋」を開く。39年には佐賀の松月堂を閉じ、飯塚の千鳥屋を千鳥屋本店とした。飯塚進出とともに考案された千鳥饅頭は、過酷な肉体労働で甘い物を必要とした筑豊炭田の炭鉱労働者や、故郷への土産物として受け入れられた。
49年には福岡へ進出。飯塚市と福岡を中心に店舗網を形成してきた。その後、62年には千鳥饅頭に次ぐ看板商品となる「チロリアン」の発売を開始する。オーストリアのチロル州に古くから伝わっていたロールクッキーをアレンジしてつくった洋菓子で、「子どもたちの誕生日会のおみやげは決まってチロリアン」という時期もあったという。
54年に夫を亡くし、原田ツユ氏が事業を継承。ツユ氏は息子たちを抜擢し、業容を拡大していった。ツユ氏は、5男3女の子宝に恵まれた。娘3人は福岡県内外の名家に嫁いだが、子息5人のうち夭折した4男以外は事業に従事。長男・良康氏は、64年に進出した東京を担当。三男・太七郎氏は、73年に開設した大阪を受け持った。両者とも現地に根ざし、現在はそれぞれ別法人として経営している。福岡に残ったのが、次男の光博氏と五男の利一郎氏。実力のある息子を4人も持ったことで、ツユ氏の組織運営は着々と進んだ。ツユ氏は、店舗などの不動産を生前に贈与しているが、それぞれに1カ所ずつ与えるのではなく、多くの物件で持分所有というかたちでの贈与だった。
そのため、95年12月に一時代を築いたツユ氏が亡くなると、不動産資産をめぐる争いが勃発。裁判にまで発展し、この過程で持分所有の不動産は随時売却されていった。また、利一郎氏は飯塚市に本拠を置くチロリアンの代表に就任した。
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<COMPANY INFORMATION>
代 表:原田 浩司
所在地:福岡県糟屋郡新宮町緑ケ浜1-2-5
(登記上):福岡市博多区上呉服町10-1
創 業:1630年
設 立:1997年8月
資本金:1,000万円
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