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「文楽は大衆芸能」「メディアの追及では正しきれなかったので条例化」~橋下大阪市長のツイート
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2012年7月27日 18:00

 データ・マックスでは、ツイッターを活用している橋下市長のツイートをまとめて紹介する。
 橋下大阪市長の27日7時頃から8時42分までのツイートは以下の通り。


 小さなことですが、大阪維新の会が目指す新しい大阪への象徴です。
RT @minobeteruo: 昨日の天神祭 中央公会堂前の観覧席で陸渡御を松井知事、橋下市長揃って観覧されておられた 今まで知事と市長が並んで見るというようなことは無かった、これだけ取ってみても画期的な事だと思う。

<橋下市長>文楽を鑑賞 「台本が古すぎる」と苦言
 毎日新聞、もっときちんと報道してくれよ。僕は台本が古いとは言っていない。昭和30年に作られた脚本に縛られる必要はないでしょと言ったんです。人形遣い、三味線は350年の歴史があるのであろうが、脚本は昭和30年に作られたもの。
 昭和30年の脚本。それは守るべき伝統ではないでしょう。現代美術家の杉本博司さん演出の曽根崎心中は、演出は現代風にアレンジしながらも、脚本は近松のオリジナルにこだわられた。これこそプロの総合演出だと思う。公演ものは、脚本・演出が全てを決めると言っても過言ではないと思う。

 昨日文楽を観劇しに行きました。曽根崎心中。守るべき伝統芸能であることは理解しています。しかし、守るだけでいいのか、公演ものであれば振興の観点も必要ではないのか。振興の観点からすると今の文楽の問題は何なのか?これまではこの辺りの議論がきっちりと行なわれていなかった。歴代の市長も、行政も、文楽となれば、批判はタブー。批判すれば、文化音痴と言われるのが怖いのでしょう。自称文化人も誰も問題点を指摘しない。

 27日朝日新聞29面で佐藤優氏が僕についていろいろと分析をしている。その中で「人文系知識人層は総人口のコンマ・ゼロいくつしかないのに、新聞の中では5分の1ぐらいを占める過重代表」と言うくだりがある。この認識を持てるかどうか。知識人や多くの行政マンは過重代表の認識がない。そして民意とかい離する。文楽も、人文系知識人層に縛られない方がいい。

 もともと芸能は大衆娯楽だ。大衆に受け入れられるかどうかが一番のポイント。大衆に理解してもらうのではない。大衆に受け入れられる文楽にしなければならない。その場合に、大衆の素朴な感想に耳を傾けるかどうか。大衆の素朴な感想に対し、それは文楽を分かっていないと一蹴した瞬間に芸能は死す。

 なんと!茂木先生が同時に文楽についてツイート。茂木先生は知識人の象徴でありますが、大衆からも支持される知識人
RT @kenichiromogi: 滞在中の大阪市内から、連続ツイート第667回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、文楽のことについて!

◇ 以下、@kenichiromogi のツイートをリツイート ◇

RT @kenichiromogi
 まず大前提として、私は文楽が大好きである。東京の国立劇場にも、何度も通っている。竹本住太夫の義太夫には、心が震える。亡くなった吉田玉男さんの人形には、何度息をのんだかわからない。一番忘れられないのが「夏祭浪速鑑」。文楽をまだ見ていない方は、ぜひ劇場に足を運んでほしい。

 橋下徹大阪市長が、文楽について、その演出などの問題点を指摘された、と聞いたとき、私は虚を突かれた思いがあった。私には、全くない発想だったからである。それから、これは大切な視点かもしれないと思い始めた。世間からの、反発を含めた反応を見ていても、そう感じた。

 文楽は、歌舞伎にも多くのネタを提供してきた、芸能の原点である。その歌舞伎に比べると、確かに文楽は少しお行儀が良く、「勉強に行く」という感じがある。特に東京の観客は、生真面目で素直な人が多いから、「人間国宝」「世界無形遺産」という惹句だけで恐れ入ってしまう傾向がある。
 建前やお行儀が優先しがちな東京では、文楽は大入りを続けている。それに対して大阪の国立文楽劇場は苦戦しているという。これを、大阪の人たちの意識の低さ、などと論じていては、本質を見誤るだろう。何よりも、そもそも文楽は大阪で誕生したものだからである。その本場でなぜ苦戦するか?

 文楽には「時代物」と「世話物」があり、「時代物」は、(文楽が上演されていた江戸時代から見て)過去の歴史に取材している。一方、「世話物」は、当時の同時代の事件に取材している。今や古典となっている「曾根崎心中」も、もともとは同時代に起こった男女の事件が元になっている。
 つまり、文楽は、それが生み出された江戸時代においては、今で言えば週刊誌、テレビのような役割を果たしていたということである。同時代に起きた事件、人々の関心事に取材して、新しい脚本で、斬新な演出を心がける。だからこそ、観客も引き寄せられた。決して「お勉強」のためにではなく。

◇ リツイートここまで ◇

 人形遣い、三味線、大夫は物凄い芸術的技能なのであろう。その凄さを理解するにはそれなりの鑑賞の経験も必要。文楽を勉強する必要もある。これは文楽に限らず何事においてもそう。野球でもサッカーでも、ポップス、漫画、お笑い、バラエティ番組の司会にタレントさんのやり取り...。
 プロの凄さを理解するには、それなりの勉強が必要なのは当然である。しかし、そのような相手だけを対象にしていては広がらない。お笑いや、バラエティ番組の司会やタレントさんのやり取り、レストラン...本当は物凄い技術が前提となっているのに、それは別として受け入れられるかどうかがスタート。

 古典は守るべきだろうし、古典があるからアレンジも効くのであろう。しかし古典だけでは広がりはしない。この両者のバランスが文楽に欠けているのだと思う。挑戦したいと思っている技芸員は数多くいるはずだ。舞台に立つ者で、多くの観客に観てもらいたいと思わない人はいない。
 豪華キャストを揃えても演出・脚本次第で、映画やドラマ、舞台は台無しになってしまう。これは文楽界の一番の問題点だろうが、演出・プロデュースの責任者は誰なのか。ここがはっきりしない。行政のいつものパターン。責任者がはっきりせず、これまでやってきたことを忠実に繰り返す。
 守るべき古典と、現代に合わせた公演。この辺をきっちりとプロデュースできる人に責任者に就いてもらわないといけないと思う。現在の曽根崎心中は昭和30年の脚本。クライマックスシーンは、僕の感覚では薄くて、物足りなかった。むしろ近松のオリジナルを観たい。

 毎日新聞は僕が台本を古いと言ったと報道。ちゃんと聞いてくれよ。僕は近松オリジナルの方が良いんじゃないかと言ったんだ。杉本氏は演出は現代風にして脚本は近松オリジナルにした。行政が仕切ると、挑戦の芽を摘む。文楽はその典型じゃないかな。若い技芸員が挑戦できる環境にすることが必要だと思う

 観劇の後にメディアの取材を受けたが、もう文楽については批判を許さない雰囲気。ドラマだって、映画だって、芝居だって、公演ものに批判はつきもの。批判されなくなったらもう終わりですよ。僕は素朴な感想を出し続ける。それが文楽玄人から見て、頓珍漢であろうとも。文楽は大衆芸能なんだから。

 一番の素朴な疑問。なんで人間国宝の人形遣いの皆さんは、顔を出されるのか。文楽は人形の芝居のはず。心中の最後のクライマックスで、人形遣いの皆さんの顔が、人形の横にあると、舞台に入り込めない。集中できない。人間国宝以外の方は、皆黒子として顔を隠す。
 人形芝居なのだから、人形以外に人間の影を感じることには違和感を覚える。だから皆黒子となっているはず。ところが人間国宝になると、顔を出されている。これはどういう演出と意味があるのか。人間国宝もその人形遣いの技術が国宝ではないのか。文楽は人形と人形遣いを見ることに意味があるのか。

 現代美術家の杉本氏は、人間国宝の皆さんにも顔を隠してもらった。文楽素人からすると、その演出の方が正解だと思う。人形遣いの皆さんの顔が見えると、人形の世界に気持ちが入っていけない。人間国宝の皆さんに顔を隠した方が良いですよということさえ、今の文楽界では言えないのであろう。

 現代美術化杉本博司さんの杉本文楽がまさにこれです。DVD観て下さい。
RT @1960chocochan: @t_ishin 「演出は現代風にして脚本は近松オリジナル」言うは安し。

 同感
RT @kenichiromogi: 落語には古典と新作が今でもあるからね RT @ishii0874rkg: 落語についても然りですね。手垢にまみれた表現ですが「古典落語」も作られた当時は新作だったのですから。当時の人々は伝統芸能などではなくもっと卑近な楽しさを求めて寄席へと詰め掛けたのでしょう。ならば今の落語も変わってゆかねばならない、そう思います

 同感
RT @kenichiromogi: そやね。 RT @piaco0701: オペラやバレエは、どんどん新しい演出をされる事が当たり前。そうして時代時代の聴衆に受け入れられたり受けいられなかったり、切磋琢磨されて生き残ってきた芸術です。

 曽根崎心中も当時は大スキャンダルだったんでしょうね
RT @kenichiromogi: 文楽の今のあり方を愛する人がいるのはよくわかる。私もすでに確立されたその美意識を大切にしたいと思う。~略~現代に合わせた新しい感覚の脚本演出、すなわち平成の「世話物」があっても良いのではないか

 「北新地物」「家庭内謝り日記」誰も観に来ないでしょうが
RT @kenichiromogi: ぶむ(9)橋下徹市長が、今回、文楽について発言されたことで、注目が集まっている。時事ネタを脚本に取り入れ、即座に「浪速市長文楽手習鑑」といった新作を発表する機動力が文楽にあったら、観客が詰めかけるだろう。「あの市長さんが~」。そんな義太夫を見てみたい。江戸時代はやってたんだよ。

 今の文楽構造では、演出・プロデュースの責任者がいません。これまでやってきたことをやり続けるだけ。多少の挑戦もされているようですが、しかしそれは新規ファンを大々的に広げるほどにはなっていません。曽根崎心中の脚本も昭和30年のもの。
 どうせやるなら近松オリジナルにするのか、それとも書き直すのか。昭和30年の脚本は守るべき古典ではないはず。このようなことも今の振興会、文楽協会、技芸員の構造ではできない。これは仕組みの問題。行政組織が身動きがとれなくなっているのと同じ。権限者、責任者の不在。

 若手技芸員も文楽ファンが増えることを願っているはず。そのためには、今の文楽界の構造を一から見直す必要がある。これが僕の文楽に対する問題提起。文楽を守れ、予算を削るな、文楽は大切な文化だ、なんていうことは誰でも言える。

同感
RT @IKE_SYO: 「大衆は愚かだら、分かる人だけ見ればよい」では文楽も絶滅する。保護ではなく時代への適応が大切。 RT @t_ishin 批判されなくなったらもう終わりですよ。僕は素朴な感想を出し続ける。それが文楽玄人から見て、頓珍漢であろうとも。文楽は大衆芸能なんだ

◇ 以下、@asahi_hb のツイートをリツイート ◇

@asahi_hb
 本日のツイート開始します。まず、市職員の政治的行為を制限する条例案や、労使関係を見直す条例案などについて、橋下氏が考えを語った部分を報告します。賛否は分かれると思いますが、橋下流の論理が明確に出ていると感じました。

 橋下市長「(政治的行為の制限条例案での規制対象が)国家公務員法にならってやるのはどうなんだという意見はわかるが、気にくわないのは条例で縛る前に(労使や行政の活動を)透明化すべきだと(いう論があることだ)。透明化を図ってメディアがチェックしてくれるのか?僕は首長になって第三者の調査委員会を使いながら(実態解明を)やっている。チェック機能はメディアの皆さんが果たすべきだと思ってますが、公務員労働組合の問題点なんて、新聞メディアでも大々的に分析記事はあまり目にしていない。
 だから透明化を図るのはいいが、それで不十分だから条例つくる。だから僕は(首長として)透明化も図っていく。労使交渉もオープンにしていくし、出来る限りすべてメディアにチェック受ける形にしていくが、これは(行政とメディアが)両だてで(すべきだ)。 今までのいろんな公務員労働組合の役所組織の不適切な問題のはきちんとチェックされているならわかるが、結局止め切れてない。メディアのチェック、住民チェックと同時に条例での縛りもやりながら、きちんと適正化してくれば、また条例を変えていけばいいのではないか。

 いろんな問題点の指摘は承知している。ただ、僕が国家公務員法にいろいろ問題点あることも承知していると言うのは、規制が広すぎる可能性もあるということと同時に、全然規制が足りていないという問題点もある。今の国家公務員法は全然規制になっていない。(国公法による)処罰事例が少ないのは、立法事実にあったルールになってないかせ。市場にさらされてない、市場によるチェック、ユーザーによるチェックが働かない。電力会社の一社独占体制についてあれだけ批判があることとそっくりそのままだ。一社独占体制の強力なモノが行政組織です。
 (電力会社の)総括原価方式が批判受けているが、あれのもっとひどいのが行政組織。経営の視点から何からすっ飛ばし、従業員の給料は絶対額で確保されている。事業失敗しようが何であろうが、バス事業でオスカー事業(注・破綻した商業ビル事業)で訴えられるとか。WTCビルだって、海の時空館もワインミュージアム(注・いずれも市が主導して破綻・失敗した開発事業)も、あんなことやって誰がどう責任とったか全然わからない行政組織。やはり市場にさらされてないのは大変な問題。

 公の組織は市場にさらされない役割があるならば、一定のルールは民間企業より厳しくすべき。僕の政治感覚はそういう感覚です。だから(公務員は)政治活動も選挙運動についても市場にさらされない以上、民間以上に厳しく律したうえで、労働者としての権利を付与するという話ならわかります。今そういうトータルのパッケージの議論ないのが非常に不満です」。

 以上です。橋下氏は、大阪市の歴史的な問題も含めて、言葉を重ねています。少し記者から見た、補足ツイートをさせていただきます。

 2004~05年にかけて、朝日新聞は大阪市役所内の構造的な不正を追及するキャンペーンを展開しました。いわゆるヤミ退職金、ヤミ手当問題で、市当局と労働組合が手を結び、市民の目にさらされない所で規定にない公金が数十年にわたり職員に支給される前代未聞の不正でした。
 問題の背景として当時から言われていたのは、橋下氏も再々指摘している、現職市長を職員労組が選挙で支える構図でした。ヤミの退職金や過大な手当は、市長選に職員が協力する見返りの意味をもつ、ということは市内部でも暗黙の了解となっていました。
 橋下氏は「公務員労組の問題を新聞が指摘したことを見たことがない」と言いますが、我々は一貫して大阪市役所の構造的な問題にメスを入れる報道を進めてきたとの立場です。朝日をはじめメディアは追及を繰り返してきました。

◇ リツイートここまで ◇

 追及していたのは事実だがでも直ってないじゃん。メディアの追及では正しきれなかったので条例化に踏み切ったのです。メディアが正しきってくれれば、こんなことやる必要ありません。
 努力じゃダメ。結果。ダブル選での市役所組織の問題の総括もメディアはしていないでしょ? だから僕が第三者による報告書をまとめてそれに対して条例を作っているのです。条例がダメなら、役所の問題を完全に正して!

 それは勤務時間外でも公務員の影響力は大きいから。
RT @asahi_hb: 橋下氏の本日の言葉で気になったのは、「公務員は市場にさらされない」という表現です。公務員給与や制度を語る文脈だけでなく、勤務時間外の活動(基本的な人権に関わる部分も含め)を制約する理屈にも、「市場」を持ち出しているところが、いかにも橋下氏流の論理と感じました。

 アメリカの公務員は政治活動が許されているという論もあるが、それは政治任用制度が前提となっていることをすっ飛ばしている。政治家と根本的な政治的価値が合わないのであれば、その公務員は入れ替え。日本のように強固な身分保障の下で政治活動を許せば、公務員はやりたい放題になる。
 政治というのは選挙でNOを下されたらそれで終わり。どれだけ自分が正しいと思っていたもアウト。だから身分保障があるなかでの政治なんて許されない。公務員が政治主張を展開したら有権者はNOを突きつけることができない。そして一般有権者と異なるのは、公務員は政治主張を実現し得る立場にあること

(27日7時5分~8時42分)

Twitter:橋下徹 (t_ishin) より引用


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