「私たちはいま、静かに怒りを燃やす"東北の鬼"です」―昨年9月16日に行なわれた「さようなら原発集会」で、6万人の聴衆に深い感動を与え、歴史的スピーチをした武藤類子氏。今年6月11日、武藤氏を団長とする「福島原発告訴団」が、1,324名の福島県民の悲痛な叫びを原発事故責任者33名の刑事告訴というかたちで世の中に伝えた。山里の自然に囲まれ静かに暮らしていた1人の女性を、ここまで駆り立てた背景に迫った。
<同じ悲劇を繰り返させない>
震災から1年以上経ったころから、福島県内では「除染」に続いて「復興」が言われだしました。除染して住民を福島に戻し、まちを復興していこうということですが、厳然として福島第一原発事故はまだ収束している状態ではありません。余震もたくさんありますし、4号機の燃料プールが崩壊したらどうなるだろうという不安を皆抱えています。
そういう放射能が残っているような状況で暮らしていると、ただ「復興」と言われても、いったい何をすれば「復興」かという疑問がありますし、「復興」という言葉そのものがどこかむなしいものに感じられます。1年間、放射能を気にして暮らしてきた人たちも、ずっと緊張を強いられることにだんだんくたびれてきます。何を食べて何を食べないか、洗濯物を外に干すかどうか、福島の人はいまだにそんなことを気にしながら暮らしているわけです。
そのなかで、住民が分断されていく感じがとても強くなっている気がします。分断のなかで苦しむ人がいる一方で、原発事故の責任者たちがどれくらい事故に対して責任を感じているのか、疑問に思います。
去年の夏、二本松市のゴルフ場が裁判を起こしました。芝生が放射能に汚染されたので、東京電力に除染してほしいという裁判です。ところが、東電の主張は「たとえ自分たちの原発で起きた事故で発生した放射能であっても、自分たちの敷地から出てしまえば自分たちのものではない。だから着地したところが除染をするべきだ」というものでした。これ1つだけ聞いても、恐るべき無責任さを感じます。
それから賠償についてもそうですが、東電がつくった分厚い賠償の請求用紙に私たちが必要事項を書かなければなりませんし、賠償するかどうかを決めるのは東電側です。加害者が賠償の基準や範囲を決めるという理不尽さは、いったい何なのでしょうか。
さらに、国の監督省庁である経済産業省などが結局、大飯原発再稼働の許可をしたわけです。今回、これだけ大きな事故を起こして責任を問われなければならない監督するべき人々が、再稼働を決めてしまうのは、すごく不思議なことです。いったい、この原発事故は誰に、どこに責任があったのかということをきちんとしなければ、また同じことを繰り返していくのではないかという思いがあり、今回の刑事告訴に至りました。
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<プロフィール>
武藤 類子(むとう・るいこ)
1953年生まれ。版下職人、養護学校教員を経て03年、福島県田村市で里山喫茶「燦」を開く。チェルノブイリ事故以来、原発反対運動に携わり、11年は「ハイロアクション福島原発40年」として活動を予定していた。福島第一原発事故発生以来、住民や避難者の人権と健康を守るための活動に奔走している。
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