「私たちはいま、静かに怒りを燃やす"東北の鬼"です」―昨年9月16日に行なわれた「さようなら原発集会」で、6万人の聴衆に深い感動を与え、歴史的スピーチをした武藤類子氏。今年6月11日、武藤氏を団長とする「福島原発告訴団」が、1,324名の福島県民の悲痛な叫びを原発事故責任者33名の刑事告訴というかたちで世の中に伝えた。山里の自然に囲まれ静かに暮らしていた1人の女性を、ここまで駆り立てた背景に迫った。
<不条理の横行>
回を追うごとに参加者が増えていきましたが、それでも5月に入った頃はまだ300名くらいでした。署名と違って委任状にきちんと印鑑を押してもらう必要がありますし、何より刑事告訴は誰も経験がなく、私自身も初めてのことでした。いったいどうなるだろうという懸念もありました。
今後、どのように1,000名以上に増やそうかと悩んでいたとき、仲間の1人が"両手に仲間作戦"というものを提案しました。1人が2人を誘えばあっという間に3倍になる、ということです。そこから300名の人たちが自分の言葉で身近な人を誘ってくれました。そうやって5月の半ばから急に人が集まりだし、6月11日の1,324名の提出に至ったのです。
郵便も私たちのもとにたくさんきました。陳述書が書ける方には書いていただいたのですがどういう被害を受けたかということ、自分がどういう思いで暮らしてきたかということが切々と書かれていました。私はほとんど目を通しましたが、本当に1人ひとりの困難、悲しさ、辛さというものが詰まっていました。
書き手は子どもからお年寄りまでさまざまでした。無理やり転校するハメになり友だちと離れ離れになって寂しい、という子どもがいます。一方で高齢の方は、自分たちの家庭菜園の野菜を孫たちに送れなくなった、孫も家に遊びに来られなくなって寂しいというものから、自分たちの時代に原発をつくってしまって反対しきれなかったという後悔といったものありました。さらに若い世代は、家族バラバラに暮らすようになった方もいます。
こういう文章を読むにつけ、本当に理不尽なことが起きているなと感じます。このままにしていて良いのだろうか、という気持ちがさらに強くなりました。
実際に原発で働いていた人たちは、複雑な事情を抱えています。これもつくられた貧しさだと思いますが、出稼ぎに行かなければならないような農村、漁村に原発がやってきて、生活が安定して「原発様様」という思いを抱いている人たちもいます。そこで生活の糧を得ていたわけですから、東電に悪くて原発反対の運動には参加できないという人もいました。
一方で、避難して家や仕事を奪われた人は、賠償金が出ていればまだ良いですが、いったん家に戻るとお金が出なくなる場合があります。畑は放射能にやられていますし、働く場所がありませんから、原発で事故処理や除染に従事することになってしまいます。
今は除染に大手ゼネコンが入り込んでいますが、利権があるのはそういうところばかりです。しかし実際に被曝しながら働くのは、被害に遭って仕事を失くした人たちなのです。1日1万円の日当をもらって、きちんとした装備も与えられず被曝しながら作業に従事しているわけです。そういう不条理なことが横行しています。
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<プロフィール>
武藤 類子(むとう・るいこ)
1953年生まれ。版下職人、養護学校教員を経て03年、福島県田村市で里山喫茶「燦」を開く。チェルノブイリ事故以来、原発反対運動に携わり、11年は「ハイロアクション福島原発40年」として活動を予定していた。福島第一原発事故発生以来、住民や避難者の人権と健康を守るための活動に奔走している。
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