「私たちはいま、静かに怒りを燃やす"東北の鬼"です」―昨年9月16日に行なわれた「さようなら原発集会」で、6万人の聴衆に深い感動を与え、歴史的スピーチをした武藤類子氏。今年6月11日、武藤氏を団長とする「福島原発告訴団」が、1,324名の福島県民の悲痛な叫びを原発事故責任者33名の刑事告訴というかたちで世の中に伝えた。山里の自然に囲まれ静かに暮らしていた1人の女性を、ここまで駆り立てた背景に迫った。
<再稼働反対デモに参加して>
私は、首相官邸前の大飯原発再稼働反対デモにも参加しました。そこで感じたのは、組織として来ている人ももちろんいますが、やはり一般の人々が続々来ているのが事実だということです。今までデモには1回も参加したことがない、という人も多いと思います。そういう人たちが自ら判断し、あの場に参加するのはとても良いことだと思います。
ところが、あれだけの人が集まっている声を野田首相が「大きい音だね」と表現していました。ようやく最近「大きな"声"」という表現になりましたが、やはりきちんと"国民の声"を聞いてほしいと思います。
26年前のチェルノブイリ事故後も、反原発運動はすごく盛り上がりました。1988年、東京で2万人規模の反原発集会がありました。私もそのときはとても大きな運動だと思っていましたし、止むことがないデモを見て「何か時代が変わるかも」という期待も抱いていました。しかし、運動はだんだん下火になり、人々は原発の危険性を忘れていくわけです。一方で、原発がどんどん増設されていきました。
今回の盛り上がりは、本当に長く続いてほしいと思います。チェルノブイリのときも、若いお母さんたちが一生懸命自分たちの子どもを守りたいという気持ちで、一般の人たちがたくさん参加していました。今回も同じですが、そのときよりもさらに多くの人たちが参加しています。これを1つのチャンスとして変わっていくと良いなと、心からそう思っています。
<プロフィール>
武藤 類子(むとう・るいこ)
1953年生まれ。版下職人、養護学校教員を経て03年、福島県田村市で里山喫茶「燦」を開く。チェルノブイリ事故以来、原発反対運動に携わり、11年は「ハイロアクション福島原発40年」として活動を予定していた。福島第一原発事故発生以来、住民や避難者の人権と健康を守るための活動に奔走している。
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