「私たちはいま、静かに怒りを燃やす"東北の鬼"です」―昨年9月16日に行なわれた「さようなら原発集会」で、6万人の聴衆に深い感動を与え、歴史的スピーチをした武藤類子氏。今年6月11日、武藤氏を団長とする「福島原発告訴団」が、1,324名の福島県民の悲痛な叫びを原発事故責任者33名の刑事告訴というかたちで世のなかに伝えた。山里の自然に囲まれ静かに暮らしていた1人の女性を、ここまで駆り立てた背景に迫った。
<「除染」「復興」に向けて>
私は東電の株主運動に加わっていましたので、この前の株主総会に出席して反対意見を述べてきました。電力会社の予算の半分は宣伝費で構成されています。どれだけ大手広告代理店やマスコミを使ったプロパガンダに力を入れてきたかが、それだけでもよくわかります。今回、この刑事告訴で罪を問う場合、業務上過失致死傷罪は個人名でしかできないということで33名の名前を挙げていますが、個人名を出すというのはすごく重要かもしれません。
その前提として、名前を出す理由がとても厳密である必要があります。しかし、個人が追求されなければ、またうやむやに終わるのではないかと考えています。
国会事故調査委員会の報告では、原発事故は「人災」と位置付けられましたが、当初は政府にだけ責任を押し付けようとする方向性もあったそうです。しかし、委員会の方々が積極的に意見を出し、東電も責任者として含まれたようです。個人名として訴えられなければ「自分のせいではない」という世界になっているのだと思います。
株主総会でも、前に座っている東電役員の人たちに各株主がいろいろな意見をぶつけていましたが、彼らはほぼ全員が退任しても次の天下り先があるのです。清水正孝社長に至っては、老後の人生があるからと2億円もの退職金をもらって、違う場所で働いているではないですか。しかも、「相手から呼ばれたからそこに就職した」という理屈です。そういうことをいけしゃあしゃあと皆が真剣に議論している場で言われると、本当にバカにされた気分になります。
私は「皆さん、福島に家を移してください。福島に来て、そこで暮らして、私たちの困難を肌で感じてください」と、東電役員に対して訴えました。賠償に関しても東電は最初は丁寧に応対しても、そのうち「申請書を出しても賠償金が出るかどうかはわかりませんよ」と言い放つようになり、その態度に憤っていた友人もいました。そういう態度が本当に傷つくし、失望します。
原発問題にずっと取り組んできて思うことは、あまりにも巨大な壁がそびえ立っているということです。どういう方向から行っても越えられない壁がありました。今回の刑事告訴は、その巨大な壁にほんの少しでもくさびを打ち込みたいという思いで進めています。県民の方々も、被害に甘んじているのではなく、きちんと物が言えるということを伝えたいのです。
県民に対する分断作戦というのも、"安全宣言"などを使って本当にうまくやられています。たとえば、他県の子どもたちがガレキ処理の手伝いに来る、海外から被災地に植樹で子どもたちが来る、学校の外での制限時間の解除がされていく、プールが解放されていく―こうしたことがなされることによって、「福島は安全だ」ということが子どもたちを使って宣伝されているような気がします。子どもが利用されることにすごく怒りを感じますし、子どもは権利がないのかとつくづく思います。
こういうことは、政治的にされているような感じがしますし、それによって「除染」や「復興」についても住民それぞれで考え方が違ってきています。対立構造も実際に生まれています。しかし、対立すべきは県民同士ではないはずです。
そういう意味でも、今回の刑事告訴によって国を変えられるということを少しでも証明できればと思っています。
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<プロフィール>
武藤 類子(むとう・るいこ)
1953年生まれ。版下職人、養護学校教員を経て03年、福島県田村市で里山喫茶「燦」を開く。チェルノブイリ事故以来、原発反対運動に携わり、11年は「ハイロアクション福島原発40年」として活動を予定していた。福島第一原発事故発生以来、住民や避難者の人権と健康を守るための活動に奔走している。
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