データ・マックスでは、ツイッターを活用している橋下市長のツイートをまとめて紹介する。
橋下大阪市長の3日午前7時14分から56分までのツイートは以下の通り。
僕が知事時代、陰山委員長は現行制度の枠内で府教委として思いっきり仕事をしてくれた。公務でのものすごい量の会議に、僕とのメール議論や直接の意見交換会。府教委でどれくらいのことをやったかは記録にある。もちろん事務局も。恐らく全国で陰山さんより働いていた教育委員はいないであろう。
そして陰山さんの教育者としての実力は皆さんご存知の通り。国の教育行政にも携わってこられた。陰山さんが単なる教育評論家ではなく優れた教育実践者であることは誰もが認めるところ。大阪維新の会の教育基本条例のときにも、必死になって反対論を唱え、メディアも陰山さんだから注目した。
現行の教育委員会制度での委員として陰山さんほどの適任者はいないと思うし、これだけ実質的な委員活動をやった人もいない。その陰山さんが「確かに非常勤が最高責任者というのはもう無理だとは思う。」と言われた。じゃあ誰が教育委員を務めることができるのか。これはもはや制度の問題だ。
教育論者で教育実践者でもあり、そして僕の知事時代のもっとも激しかった教育委員経験者である。文科省はこの陰山さんの声を聞かずしてどうする。経験のない学者や有識者は、政治的中立性しか言わない。しかし現実、非常勤の現行制度で教育行政の最高責任を負わされるには限界があることは明らとなった。
陰山さんですら非常勤に限界があると言っているのに、そうなると全国の教育委員会はどうなっているのか恐ろし過ぎる。まったく機能していない委員会がほとんどではないか。いまだに大津市の教育委員の顔がまったく見えない。彼らも、俺たちは非常勤で受けたのに・・・・という思いなのであろう。。
現場を経験したことのない学者の意見は放っておいて、教育に真に携わってきた教育論者の声を聞くべきだ。非常勤の委員では最終責任を負うには限界がある。教育専門家は専門家としての助言と首長への歯止め役。原則は政治家である首長が常勤教育長と一体となって教育行政を進め、責任を負うべきだ。
戦後教育委員会制度の抜本的見直しが必要。首長、教委の相互独立の現行制度では、教委がやりたくても首長が金を付けない、首長がやりたくても教委が拒否ということが多々ある。そのときにどちらにできなかった責任があるかは不明。首長と教育長が一体となれば、最終責任は首長にあることがはっきりする。
そして問題があれば選挙で首長を代えればいい。首長が教育権限を持つと選挙の度に教育がコロコロ変わると経験のない学者はすぐ叫ぶ。選挙で変えることは必要だし、あまりにも子どもたちのためにならないということであれば教育専門家が拒否権を発動する。重要なことは責任の所在の明確化。
教育の政治的中立性の名の下に、教育行政の責任者がはっきりとせず、非常勤の委員に教育行政を仕切らせ、そして教育現場に政治的なガバナンスがまったく効かない現行教育委員会制度の抜本的見直しが必要。首長は住民代表だ。教育に関与するのは当然。あとは首長の暴走をどう止めるかの問題。
消費税の地方税化と地方交付税の廃止、道州制、エネルギー政策に並んで教育委員会制度の在り方についても次の衆議院総選挙の大争点だ。議論しても絶対に決着しない論点。選挙で国民に方向性を決めてもらうしかない。
教育内容は教育の専門家の領域。政治家は教育行政組織を動かす権限と責任。
RT @drumkun7: そもそも政治は教育内容に入れ込むべきではない。国民性は時代が醸成するもの。誘導するのは二流。お隣と同じ。 RT @t_ishin: 政治家である首長が常勤教育長と一体となって教育行政を進め、責任を負うべきだ。
それでも教育委員会が認めないと実行できません。発言と実行は別物。首長が教育について語るのは当然で、教育に思いのない首長が黙っているだけ。首長の発言を前提に、実行の際にどう歯止めをかけるかの問題です。
RT @marco8789: あなたは教育内容についても口出ししするじゃないか
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(例)RT @○○○ ABCD......
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