心臓カテーテル治療の第一人者、延吉正清医師が、6月に財団法人平成紫川会小倉記念病院の院長・理事長を退くと表明していたことが、当社発行の「I・B」8月16日号の特集記事で明らかになった。退任表明からすでに2カ月がたつ。ところが、"神の手"を持つ天才医師が後進に道を譲るはずの"花道"が迷走を始めている。2010年12月に移転新築し、小倉駅北口にそびえたつ"新生"小倉記念病院。その「白い巨塔」の背後で何がうごめいているのか。
<臨時職員会議での辞任表明>
匿名を条件に語った病院関係者の話を総合すると、延吉院長の退任表明は、突然の電撃発表だった。病院の新築移転を達成し全盛期に引退するとは、延吉院長にふさわしい"花道"である。
今年(2012年)6月8日に院内で開かれた「臨時職員会議」の場に職員を集めて、延吉院長自ら退任を表明した。「臨時職員会議」開催は、その日の朝に知らされた。開会前まで内容は知らされず、「緊急に集まってほしい」と伝えられた。「夏の賞与の話かな」と心配した職員もいた。開会は昼の12時。同病院4階の講堂には、200~300人の職員が集まったという。
そこで、延吉院長は最初に院長を辞任すると表明した。「院長になって10年で引退と決めていた」と述べ、約40分間に渡りスライドを交えて小倉記念病院の業績、理念、歴史などを語った。
しかし、この臨時職員会議での発表の時から、発表内容には、隠された事実があり、延吉氏の"花道"迷走は始まっていた。
<「小倉ライブ」からの引退>
電撃発表を聞いた職員の受け止めは2つに分かれた。「来るべきものが来た」と平静に受け止めた職員もいれば、「あまりにも唐突で、豆鉄砲をくらった感じだった」という職員もいた。
"来るべきもの"と受け止めたのは、「うわさが流れていた」「予想していた」からだという。
その理由の1つは、すでに6月1日から3日まで開催された「小倉ライブ」で、"これ以上はない"という重大な変化が起きていたからだ。
「小倉ライブ」は、院内の治療室で患者を治療している様子を院外の会場に生中継して、実際の治療手技を解説しながら、心臓病治療に携わる医師やスタッフらが議論、勉強するもの。昨年の2011年は東北大震災で中止になったため、今年は、新生小倉記念病院として初めての開催であり、来年には30周年を迎える節目の年だった。
<受け継ぐものは、何か>
今年も、実行委員長は例年通り延吉院長が務め、初日のプログラムに「延吉マスターズライブ」としてPCI(冠動脈インターベンション。いわゆる心臓カテーテル治療のこと)を担当(オペレーター)する予定だった。しかし、当日施術の途中から別の医師にオペレーターを交代し、延吉院長は後ろで見守った。
「ライブ」の時点で"引退"表明があったという情報もある。参加した医師らは、「ライブ」前に延吉医師"引退"を知ることで、身が引き締まるとともに、治療手技の議論、学ぶ熱気もいっそう白熱したというのだ。
「ライブ」の今年のテーマは「受け継ぐものは、何か」。中止となった昨年の第28回は「新たな歴史がここから始まる」だった。偶然の産物とはいえ、今年の「ライブ」は、延吉氏の"引退"を象徴するテーマになった。
実は、院長退職・理事長退任の予感を職員らが抱いていたのは、もう1つ理由がある。むしろ、院長退任表明に連なる核心といってもいいだろう。それに触れる前に、小倉記念病院の歴史を振り返りながら、まずは退任表明をめぐって起こった出来事を追うことにしたい。
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