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特別取材

小倉記念病院に暗雲 延吉院長退任"花道"が迷走(2)
特別取材
2012年8月18日 07:00

<職員、患者、地域の「3つの幸せ」>
 小倉記念病院の延吉正清院長が病院長退職の電撃発表を行なった「臨時職員会議」(2012年6月8日)。このとき、延吉院長は、集まった職員らを前に、"新生"小倉記念病院が受け継いでいくべき理念を語っている。

 延吉院長は、研修で常々繰り返し強調してきた「3つの幸せ」や、医師にとって大切なこととしている「3つのS(シンプル、スピーディー、セーフティ)」の大切さをあらためて熱を込めて説いたという。「3つの幸せ」は、「職員の幸せが、患者さんの幸せ・地域の幸せにつながる」という信念のもと、医療を通じ社会に貢献することを使命にしている職員を大切にし、そのことによってこそ患者・地域に貢献できるとの同病院の理念を表す言葉である。
 この日の延吉院長の講演には、「医療を良くすることで、人を幸せにしたい」という医師としての強い信念を受け継いでほしいとの思いがあふれていた。

<地域医療への貢献>
 延吉院長のこれまでのインタビューや同病院のホームページなどから、小倉記念病院の歴史や功績を振り返ってみよう。

 小倉記念病院は、1916(大正5)年、副島豫四郎・元京都大学助教授が、当時の小倉市(現在の北九州市)宝町にあった外科病院を母体に、私立小倉記念病院を創立したのが始まりだ。
 戦後の48(昭和23)年、朝日新聞西部厚生文化事業団に経営を委託し、社会保険病院となり、長く「社会保険小倉記念病院」として、勤労者をはじめ、広く北九州市周辺住民の医療に貢献してきた。2004年には病院開設者が、財団法人平成紫川会になり、翌05年、「最善の医療を住み慣れた地域で受けたい」という願いにこたえるために、地域医療支援病院を取得し、救急医療と高度医療を中心に地域医療に貢献する努力を続けてきた。
 そして、10年には、小倉駅北口の現在地に新築移転し、職員一丸となって軌道に乗せる仕事も一段落したところである。

<"新生"小倉記念病院の日常>
kokura_byoin.jpg 新築移転して1年半を迎えた"新生"小倉記念病院を訪ねてみた。
 JRと市営モノレールが乗り入れる独特の形状をした小倉駅の北口にある。原宿ラフォーレの後にアニメの殿堂「あるあるCity(シティ)」がオープンした今も、アジア太平洋インポートマート(AIM)、リーガロイヤルホテル小倉と並んで、小倉駅前のランドマークになっている。

 「あるあるCity」やAIM、29階建のホテルの一群が右手にあるのと対照的に、小倉記念病院は左手にそびえ立つ。13階建の白く、巨大な建物は、地域医療に貢献し患者の健康と生命を守る崇高な役割を誇るような独特の迫力があり、輝きを放っている。病院の手前では、ペデストリアンデッキと呼ばれる歩行者回廊に面して、薬局が2軒営業し、処方箋を手にした患者の姿が数多くみることができる。

 正面入口には、豪華ホテルのような巨大回転ドア。それを抜けると、今度はまるで百貨店さながらのロビーが広がっている。新宿の伊勢丹や池袋の東武でも、ここまでの豪華さや新しさはないと思える。しかも、その豪華さは商業ビジネスの場とは違って、患者さんが落ち着けるような静謐な空間になっている。
 そこには、治療を求める患者と家族、患者の治療に献身する病院関係者の姿があり、院長の退職表明を感じさせない日常があった。

(つづく)
【特別取材班】

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