<宙に浮いた退任表明>
6月8日に開かれた小倉記念病院の「臨時職員会議」から、すでに2カ月以上が過ぎた。
新築移転という大事業を成し遂げた延吉正清理事長・院長の"花道"の混迷は、すでに「臨時職員会議」での電撃発表の時から始まった、といえる。
それは、理事長退任も決断していたはずの延吉氏が、理事長職の進退には触れず、院長の退職しか明らかにしなかったからだ。
延吉氏の心境に、一夜にして何が起きたかは本人にしかわからないが、病院幹部は、前日の決断内容とは微妙にずれていることに気付いた。
それを指摘された延吉氏は、副院長らの前で、理事長退任の意思は変わっていず、今度は、次回の定例理事会で理事を退任し病院長を退職すると約束した。延吉氏は、理事長辞任には「理事会の承認がいる」と考えたようだ。当初は、6月7日付で理事長も院長も退くと表明していたわけだから、退任時期が先延ばしになったことになる。
しかし、その次の臨時理事会(6月14日)でも、定例理事会・評議員会(6月18日)でも、理事長を退任しないばかりか、延吉氏は「(退職・退任を)強制された」と言い出したのだ。
その一方で、延吉氏は理事会で「後任が決まったら院長も理事長も辞める」と述べているが、いまだに後任も決まらないまま、勇退の"花道"が宙に浮く混迷が続いている。
<経営手腕 だれが後を継ぐ>
延吉氏が病院長・理事長を退くとなると、誰が後任になるかが真っ先に気になる問題だ。
延吉氏は、"神の手"を持つ医師として高峰を極めただけでなく、理事長として、医師170人、看護師700人、職員総数1,200人を統率し、病院経営の手腕も秀でていた。確固たる経営哲学の持ち主で、「小倉ライブ」をはじめ、診療科目の「選択と集中」、医療水準の向上、病院・診療所連携、病院間連携などに取り組み、658病床の新生小倉記念病院を軌道に乗せたのも、延吉理事長の功績によるものだ。
しかし、現在、小倉記念病院は、6人の副院長を先頭に平常通り何ら問題なく医療を提供し続けているようで、影響を感じさせない。
小倉記念病院には、6人の副院長がいる。瀬尾勝弘、野坂秀行、山下裕幸、今田和典、田中明、玉井照美(看護部長兼務)の各氏だ。いずれも、学会の常務理事を務めるなど、世に知れ渡る重鎮・人格者ぞろいである。
病院経営と病院業務とは別次元の力量が問われる課題であり、理事長をどうするかが、今後の小倉記念病院にとって重要な問題になっている。
「臨時職員会議」で大勢の職員を前に延吉院長みずから病院長退職を表明しながら、後任も決まらず、"看板"だけは「延吉正清院長」が続いている。一方、病院関係者によると、延吉氏は6月21日に登院して以降、病院に顔を出していない。そのため、病院関係者にはさまざまな憶測が生まれているという。
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