今、全国的に注目を集めている大阪維新の会。2010年4月の設立後、次々と現職の地方議員が参加し、代表である橋下徹大阪市長とともに「大阪都構想」の実現を掲げ、さまざまな改革を進めている。閉塞した地方行政を突破しようとする個人力の源にあるものとは何か。11期44年間、大阪市議を務めた父の後を継いだ「世襲議員」でありながら、自民党を離れて大阪維新の会に加わった 淳子大阪市議会議長をインタビューした。(7月1日取材)
――市議になられた際、薬局を経営していた立場から役所の仕事ぶりに違和感はありませんでしたか。
辻淳子(以下、辻) ゆとりがありすぎというのでしょうか。たとえば、私は子育てをしている立場から、実感として教育への要望があり、それを教育委員会に伝えるのですが、なかなか聞いてもらえません。「いや~、辻先生の言うことはもっともですが...」という感じで動かない、いや、むしろ動けないと言うべきでしょうね。学校の現場や組合などが障害になっていたのでしょう。
――その頃の大阪市政はどのような状況でしたか。
辻 私が市議になった2003(平成15)年頃から大阪市の改革がスタートしました。大阪市はバブル時代に、複合商業施設ATC(アジア太平洋トレードセンター)やWTC(大阪ワールドトレードセンター)をはじめとする箱モノをたくさん建てましたが、バブルが弾け、借金を返していけない状況に陥っていたのです。それを何とかしようと、当時の關(せき)淳一市長が市政改革を始めました。
大阪市には、もう1つ大きな問題がありました。01(平成13)年に特別法(同和対策事業特別措置法)の期限が切れたのですが、大阪市は多額を投じる同和対策事業を続けていたのです。地区の病院に多額の税金がつぎ込まれ、その地域の人が無料で診療を受けていたという実態もありました。また、地区にたくさん建てられた建物の運用費や人件費も多額になっていました。
さらに、地区のなかに革を扱う小さな工場がたくさんあり、化学薬品を使うことや肥料工場からすごい臭いが発生していました。大阪市は、公害という観点から、その工場の土地を高いところでは1坪1,000万円という値段で買い上げていたのです。それは今も空き地のまま残ってところがあり、今は「人権対策事業」と名前を変え、予算の額も昔より減ってはいますが、大阪市は土地購入で生まれた莫大な借金の利息を払い続けています。
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辻 淳子(つじ じゅんこ)
1952年11月29日生まれ。武庫川女子大学薬学部を卒業し、西成区で薬局を経営。父・辻昭二郎前大阪市議の後を継ぎ、2003年4月、統一地方選で自民党より初当選。西成区初の女性議員となる。2010年5月、大阪維新の会に入団。12年5月30日、第108代大阪市議会議長に就任(女性議長は3人目)した。NPO法人 教育再生・地方議員百人と市民の会理事長。
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