知識人は、自分の周りだけでは自由な議論が行なわれている。それが権力側の恩顧によるものだと気づきながら、その環境に安住する。そうして、次第にコントロールされていく。そのインテリ知識人サークルに所属している限りは、自由に研究できるという特権を与えるのは権力側である。これが規制の虜の典型的な現れである。普通は資金提供や発表の場の確保という形で知識人は真綿で首を絞められるようにコントロールされている。今もそうである。やはり知識人といっても霞を食って生きているわけではない。組織、団体に所属すると自由な発言は自粛するようになる。無論、これは日本だけの現象ではない。
ウォルフレンは、日本論としてこの官僚制度の問題を詳しく批判している。彼の主著である『日本権力構造の謎』(ハヤカワ文庫)という本はそういう本だった。ところが近年、ウォルフレンはアメリカ社会もまた同じ構造になってしまったと嘆いている。彼の言う、官僚機構とは、単に公務員試験を受けて合格した霞が関の人間だけではない。「政府の役人とほとんど区別できない権力保持者のグループ」として、経団連などの財界団体を挙げている。たしかに官僚機構と財界は一体である。
官僚機構は有能であるとしても、絶対的な権力を持ってはならない。それは、「民主的に導かれた公式法規」に基づいていないからである。政治家であれば、選挙で落選するというリスクを負う。ところが、官僚機構は選挙で選ばれたわけでもないし、政策遂行に対する官僚個人の責任も問われない。せいぜい、官僚機構の暴走を監視するのは、他省庁の官僚グループに対する縄張り争いという監視体制でしかなかった。ところが、この省庁同士の監視体制も今や官は政治主導の掛け声で政治改革を訴えてきた民主党政権に対しては「談合」することで一時休戦状態になっている。
その象徴が、今問題になっている原子力規制委員会の人事案である。委員長候補になった田中俊一氏だけが問題になっているが、この人事案では、他に、地震予知連絡会会長、日本アイソトープ協会主査、日本原子力研究開発機構副部門長、元国連大使である。要するに、除染の専門である委員長は、規制庁の中核になる環境省が、地震予知連会長は国交省が、アイソトープ協会主査は文科省、原子力研究開発機構は経産省、そして元国連大使は外務省が「省庁枠」として推薦したに過ぎないことが一目瞭然であり、官庁を監視する独立系の研究者の起用は一切考慮されていないということが問題なのである。この人事を見れば、対米追従の外務省までが原子力ムラの住人であることが逆に皮肉にも証明されているとも言える。
だから、今の日本で一番怖いのは、このような「官僚の社会に対するコントロール」の意欲と、それを補強する「体制派知識人(エスタブリッシュメント・インテレクチャルズ)が肥大化することである。ウォルフレンは、先の戦争でもそのような現象が見られたと『日本の知識人へ』(窓社)で指摘する。
自己目的推進のため国民大衆にうそをついたことに対しては、軍部より官僚の責任が大きかった。アメリカが日本を占領し、経済官僚が擡頭する以前は、内務省が司法省と文部省を重要な協力者として社会統制を推進した神経中枢だったのであり、軍部はごく限られた程度においてのみ監督的機能を保持していたにすぎない。(同書22ページ)
<プロフィール>
中田 安彦 (なかた やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などがある。
※記事へのご意見はこちら