オスプレイの安全性をめぐる議論の「落とし穴」を見事に利用した世論逸らしの例として、雑誌『ウェッジ』に掲載された米シンクタンク研究員の辰巳由紀氏の論文があげられる。
(参考:強まるオスプレイ配備への反発 現実離れした日本の要求 2012年07月23日(Mon) 辰巳由紀 (スティムソン・センター主任研究員))
上の記事のなかで辰巳研究員はおそらく、現在入手可能な資料に基づいて技術論的には「誠実」な議論を行なっているのかもしれない。しかし、今私が述べたような、「そもそも論」の「日米地位協定」の不平等性に基づく、米側のオスプレイ配備に対して、日本が抗弁することができないことが問題の根元にあることが無視されている。
専門家は自分の専門という土俵に一般大衆を引きずり込んで、そのなかだけで成立する、限定的には合理的な議論を行なうことが往々にある。これなどは最たる例だ。
ここで、オスプレイ反対派が問題の根源ではなく、感情的なオスプレイ危険論にもとづいて相手に反論することはあまり効果的ではない。それどころかむしろ、専門家や官僚は「しめしめ落とし穴にかかったな」と、ほくそ笑んでいるはずなのだ。彼らとしては対米交渉を要する日米地位協定見直しに議論が向かうことは絶対に避けないとならないわけだ。
このように、専門家、すなわち体制派知識人が行う解説はさまざまな落とし穴がある。このような落とし穴を発見し、問題の根本を知らせることも独立派の知識人の役目である。ウォルフレンの本を読むとそのようなこともわかる。
ウォルフレンの『日本の知識人へ』(窓社)より、以下の言葉をかみ締めて欲しい。
日本の権力システムの強さは、最大の権力を保持する人―官僚である―が自分たちによる権力行使の事実を否定する、と言う事実に大きく由来している。(同書71ページ)
官僚が社会を統制する超法規的権力と、現行法規の勝手気ままな解釈は、その官僚たちが、「民意」を代表するという幻想によって暗黙のうちに正当化される。つまり、彼ら官僚は、国民が望む政策を履行している、というわけだ。(同書35ページ)
官僚は、現代史を通じ、社会統制の手段を、最大限の自己保全を図るために意のままに使ってきた。ところが、概して日本の人々は、官僚は無私無欲の動機で動かされているという伝統的観念を受け入れ続けている。これはある程度、官僚は利己的で堕落した政治家と違い中立である、という信仰を一世紀にわたって教えこまれてきた結果である。(同書37ページ)
阪神大震災のあった1995年に行なわれた彼の警告は見事に無視された。日本はまるで「擬似律令制度」のような官僚主導政治国家である。今でもそうである。
ウォルフレンは戒めるだろうが、私は「こりゃもう、どうにもならねえな」というしかない。
どうせ維新の会も官僚に取り込まれる。日本はまた破滅に向かうのだろうか。
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<プロフィール>
中田 安彦 (なかた やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などがある。
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