2012年7月11日から14日にかけて、北部九州を未曾有の集中豪雨が襲った。福岡県においては県南の筑後地方が死傷者を含む甚大な被害を受けた。7月19日に野田総理は激甚災害指定することを表明。この事態の発生直後、地元八女市出身の野田国義議員は現地視察を行ない、7月17日に国会内に設置された「九州北部豪雨災害対策本部」で輿石東本部長、樽床伸二本部長代行の下で、副本部長に就任した。八女市長時代から故郷を思い、既得権やしがらみにとらわれず、地域の再生を何より優先して行動してこられた同議員に、国会議員としていかに地域復興を進めていくのか話を聞いた。
――今回の九州における災害で、改めて災害対策の重要性が高まりました。野田議員は7月14日にただちに現場に入られたとのことで、旧八女郡の被災地―いわゆる"限界集落"と呼ばれている山間地の問題と、矢部川下流で、市の3分の1が浸水した柳川市について、どのように感じられましたか。
野田 非常に難しい問題です。いわゆる想定外の雨量時に、国土がどう対応するか。気象庁も、今まで経験したことがないと言っています。
今、指摘されているのが、中川正春防災担当大臣が八女市の山内地区に行かれて、ヘリコプターで救出された地域ですが、住民の方のお話をお聞きしました。その際に住民の女性の方から、「護岸工事を人工的にしたから、結局、流れを止めて、それで水があふれて山内で被害が大きくなった。いまだかつてない被害をもたらした。これは、人災の面もあるのではないか」という指摘をされました。なるほど、もっともな話だとお聞きしました。中川大臣もそれを直接聞かれています。逆に考えると、そういう面もあります。
今、八女郡でも話になっているのが、道路も1本だけではなく、2本はつくっておかなければならないということです。今回の災害では、笠原(八女市黒木町笠原地区)、星野(八女市星野村)が孤立状態になりましたけれども、やはり幹線道路が被害を受けると孤立してしまいます。中山間地については、そういったことを考えながら迂回できる道を整備していくことを考えなければなりません。
それから、みやま、柳川では堤防決壊がありましたが、このことについては、現在、原因究明を進めているところです。「あれも人災だった」という指摘や噂話もありますし、実際には調査をしてみないとわからないのですが、そのうえで堤防なども考えていかなければなりません。六合(柳川市大和町六合)などは、土質も脆かったという面もあるようでした。
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<プロフィール>
野田 国義(のだ・くによし)
1958年八女郡立花町(現在の八女市)に生まれ、農家の長男として広川町で育つ。福岡県立福島高校、日本大学法学部政治経済学科卒業。卒業後、代議士秘書として生の政治を身につける。93年、34歳で八女市長に当選。当時、全国最年少市長として、「八女のクリントン」と呼ばれる。改革派市長として行財政改革や市職員の給与カットに踏み込むなど労使関係の正常化に尽力。4期16年にわたり市長職を務める。市長時代は、全国市長会副会長、全国青年市長会会長などを歴任。09年9月の総選挙に民主党公認で出馬し当選。九州比例ブロックで当選。現在、民主党幹事長補佐、民主党福岡県連代表、衆議院農林水産委員会理事、民主党お茶議員連盟事務局長などを務める。
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