"神の手"を持つ延吉正清氏の次期病院長指名へのこだわりは、辞任の背景に重なるものがある。「延吉院長のワンマン、独裁への不満、批判がうっ積していた」。理事や退職した病院関係者はこう語る。
権力は腐敗するのが世の常だ。ましてやワンマン体制はチェック機能が働かなくなる。小倉記念病院の新築移転の際にも、独断専行ぶりは随所にみられ、病院外の関係者までが振り回された。
<清水建設と正式契約の日>
2008年8月29日、時計の針は、すでに正午を越えていた。小倉駅新幹線口(北口)から歩いて3分のKMMビル4F、大会議室には、近隣の住民や福岡市内からやってきた人々などが集まっていた。新しく建設される、小倉記念病院の住民説明会に参加するためである。この説明会は、「財団法人平成紫川会・社会保険小倉記念病院 建築工事説明会」と名付けられた。
延吉院長が陣頭指揮した病院新築がいよいよ着工に進む一大セレモニーだ。施工業者は、大手ゼネコンの清水建設。この日は、すでに細かい条件まで実務レベルで合意に至っているはずの、小倉記念病院と清水建設が正式に契約を交わし、住民に工事における様々な説明をすることになっていた。会場を予約したのも清水建設だった。
<「清水とはやらん!!>
しかし、午後1時からの住民説明会が迫るなか、小倉記念病院の院長室には延吉院長の大きな声が響いたという。
「清水とはやらん!!」
関係者からすれば、寝耳に水の中止宣言である。施工業者や設計事務所はもちろんのこと、金融機関の幹部や地場企業の重役にまで足を運ばせている。前述の通り、会場にはすでに人が入っている。
説明会は、平日の昼間ということもあり、参加するように近隣の住民に呼びかけるのはそれなりの労力が必要だった。病院側の担当者と清水建設の営業担当者は、汗を拭いながら、手土産を抱えて近隣住民に参加を呼びかけて回った。それを急遽、中止にするというのだから、当事者でなくとも胃が縮む思いだ。
<「鶴の一声」でいったん中止>
住民説明会は、延吉院長の鶴の一声で、結局はいったん中止になった。病院側の担当者が会場に集まった人々に「契約面で折り合いが付かなくなったので、説明ができなくなった」と説明すると、会場からは「遊びで来てるんじゃない!」などと怒号が飛び交ったという。結局、病院側は、ただただ頭を下げることしかできず、交通費の支払いをすることで精一杯の謝罪を表した。
その後、無事に正式契約に至り、それから約1カ月後の9月26日、同じKMMビル4Fで、午後1時から、住民説明会は滞りなく開催された。
この1カ月のあいだにどのような状況の変化があったのか。こうして新生小倉記念病院の建設が始まった。
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