弁護士が辣腕を振るって、行政・政治・金融機関・企業に隠然たる影響を与えることはよく見かける。ところが、地域・行政・企業などを束ねて【地域のドン】になるケースは非常に稀だ。その稀な例として、鹿児島県の各方面に影響力を行使している和田久氏を紹介してみよう。まさしくこの【傑物シリーズ】にはぴったりの人物だ。恐らく【鹿児島県の裏ドン】と表現したならば、地元のそれなりの地位にある方々は納得するだろう。
<ネットに素性が出ない>
このネット情報世界において、これだけ有名な和田久弁護士のプロフィールがまったく記載されていないのだ。筆者『児玉直』を「Google」で検索してみても、それなりのデータは入手可能である。ところが、【鹿児島県の裏ドン】和田久氏の経歴は出てこないのである。「和田久法律事務所」を検索しても「所長・和田久」と公開されているだけだ。厳密に言えば、『和田・石走・蓑毛法律事務所』である(資料参照)。
福岡県弁護士会の会長をされた弁護士木上勝征氏を検索すれば、経歴が一瞬にして判明する。これが普通なのだろうが、和田氏の情報は入手不可能である。
そこで、手はかかったが、調査した同氏の経歴の概略をまとめてみた。同氏は1925(大正14)年4月1日生まれの87歳で、本籍は鹿児島県。1947(昭和22)年に東京大学法学部を卒業し、同年、高等試験司法科に合格。1963(昭和38)年に弁護士登録し、1976(昭和51)年に鹿児島県弁護士会会長となっている。
もうこれだけの経歴であれば、鹿児島の大御所であることは間違いない。加えること、政治、行政、企業関係者は、和田久弁護士に助けを請う機会もあったことだろう。ただ、同氏の活動範囲が法曹界に止まらなかったことが異色であった。
<伊藤祐一郎鹿児島知事3選の裏側で!!>
今年7月に伊藤祐一郎鹿児島県知事が知事3選を果たしたが、「脱原発」運動の全国的なうねりのなかで、対抗馬である向原祥隆氏の善戦を許してしまった。伊藤陣営は必死で≪原発再開・産廃処分場隠し≫を図り、選挙選に臨んだ。伊藤陣営としてはこの問題が表面化することを警戒した。3選を果たした伊藤氏のプロフィールは下記の通りだ。
伊藤氏は1947年11月17日生まれで、1972年に自治省(現・総務省)に入る。2004年2月に総務省を辞め、同年7月に鹿児島県知事選に立候補して初当選している。
この伊藤氏が知事選に立つ決断を促したのが、この和田久弁護士と言われる。和田氏がどうして伊藤氏を口説いたのか――。(1)同じ出水市の出身だから、(2)大学の後輩だから、(3)人物の能力を買ったから――と、諸説が流れている。しかし、この動機はあまり重要ではない。
問題は以下のことだ。伊藤氏の1期目の選挙で、和田氏は後援会長を務めた。04年の政治収支報告書によると、伊藤知事の資金管理団体「いとう祐一郎後援会裕祥会」の年間収入は2億2,475万6,131円で、収入の大半は和田氏からの借入金1億8,150万円でまかなわれていた。2010年分の政治団体収支報告書をたしかめたところ、「いとう祐一郎後援会裕祥会」の和田氏からの借入額は1億4,000万円であった(また、同年分では、和田氏は「阿久根の将来を考える会」に100万円の寄付をしている)。
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