2011年1月、任期満了にともなう筑紫野市長選が行なわれ、激戦の末、藤田陽三氏が当選。地元住民からたび重なる要請を受けての緊急出馬だったこともあり、話題を集めた。しかも超短期間の選挙活動で当選を決めたことは、市民が変革を求めていた結果だったのだろう。それから約1年半――。成長の伸びが期待される筑紫野市の市長として、熟練した手腕がどう活かされているのか。藤田陽三筑紫野市長に話を聞いた。
――市長就任からの約1年半を振り返ってみて、いかがですか。
藤田 忘れもしません。筑紫野市の市長に就任して39日目となる2011年3月11日、東日本大震災が発生し、地震、津波および原発の事故と、まさに未曾有の大災害となりました。震災発生直後から市が支援に向けて動き出したのはもちろんですが、市民の皆さんからも率先した支援の手を数多く差し伸べていただき、約3,684万円もの義援金を被災地に送ることができました。本当にありがとうございました。また、本市からも行政義援金のほか、被災地支援のために職員を現地に派遣しました。自ら志願してくれた市職員28人が災害復旧支援のために懸命に活動し、多くのことを学んできてくれたようです。現地で積んだ多くの経験は、本市における災害発生時の対応でも活きてくることでしょう。被災地の1日も早い復興を心から願うとともに、これからも可能な限りの支援を行なっていきたいと考えています。
さて、市長就任から約1年半が経過しましたが、まずは、気づきと実行という感覚を大切にし、足元の部分から取り組んでいます。
たとえば、庁舎の1階部分のフロアが狭いために、「暗いし、サービスが悪いように見える」との声が市民からありました。そこで、すぐにフロアの改修工事を行ないました。また、職場での朝礼を徹底し、市職員間の意思疎通を図れるようにしました。さらに、今までは市職員が研修や会議を積極的に行なうことができる場所が庁舎内に不足していると感じましたので、会議室の増設を行ないました。職員の資質や仕事に対するモチベーションを高めることができる環境づくりによって、さらなる市民サービスの向上を目指しています。
職場の雰囲気が明るくなると、気分も明るくなります。そのため、次第に職員から自発的な意見も出てくるようになりました。先ほどの震災に対する自発的な動きも、その表れかもしれません。
「人は石垣、人は城」という、先人が残した言葉があります。この言葉通り、行政のシンクタンクでもある市職員たちの働きやすい職場づくりと倫理感の向上によって、「いつまでも住み続けたい」、そして「住んでみたい」と思えるようなまちづくりができると信じています。また、まちづくりを進めるにあたって、市民の意見を大切にしていきたいと考えています。このため、昨年8月から各地域で積極的に活動している団体やグループと対話する「移動市長室」を開始し、その後も毎月1回の頻度で開催しています。これからも市民の意見を積極的に聴く機会を設けていきたいと考えています。
まちづくりに関する具体的な都市基盤の整備については、西鉄筑紫駅の周辺開発に関する筑紫駅西口土地区画整理事業の16年度工事完了に向けて、地元との協議、予算の編成を行なっているほか、JR二日市駅と二日市温泉をつなぐ道路の整備についても、地権者の協力を得ながら用地買収を進めています。
また、大雨による度重なる浸水被害が発生している高尾川と鷺田川については、改修に向けて市と改修促進期成会が中心となって積極的に取り組みを進めています。市にとって、そして市民にとって優先的に進めるべきインフラの整備を早急に進めています。
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