<二頭体制崩壊の背景(1)>
植木会長の死去により、維新銀行のドンとして10年間トップの座に君臨していた谷本亮二頭取が突然引退を表明した。
戦後間もない1949年(昭和24年)に頭取となった絹田周作は、取締役会長から取締役相談役になり、1985年(昭和60年)に取締役相談役のまま亡くなった。その後を継いだ植木晃も1995年8月に現役の代表取締役会長のまま亡くなった。
そのため谷本頭取も先達を踏襲し代表取締役会長として院政を敷くものと見られていたが、大方の見方を覆し、谷本は取締役をも退任し相談役に退くことになった。
その地位に連綿としない谷本の引退は、「さすが人事の谷本。絹田頭取や植木頭取と違って、身の引き方が素晴らしい」との評判が流れ、西部県の政財界や取引先はもちろん、行員からも惜しまれての退任であった。
谷本は後継者として、代表取締役頭取に専務の谷野銀次郎、代表取締役会長に専務の栗野和男の2人を指名した。谷野は栗野と取締役候補を争った末、植木会長が人事権を行使して取締役に就任。一方栗野は病気の植木会長から人事権を譲渡された谷本頭取の再指名により、翌年取締役に就任。取締役の椅子を巡って争った2人が過去のわだかまりを捨てて、仲良く代表取締役頭取と代表取締役会長のポストを分け合うことになった。
谷と野の名をそれぞれ一字持つ相談役の(谷)本、会長の栗(野)、専務の沢(谷)、石(野)が、谷野頭取を支えるという、名目上では盤石な体制でのスタートではあった。しかしこの組み合わせは、ガラス細工のように壊れやすい宿命を負っていた。
谷本が栗野と谷野の2人を後継に指名したのは、谷本なりのしたたかな打算に基づくものであった。その一つは、「自分は1人で会長兼頭取職を担うことができたが、後継は2名いないと務まらない」と、自分の功績を際立たせることであった。もう一つは、「谷野を後継の頭取とした場合、栗野を退任させなければならなくなる。しかし腹心の栗野を会長としておけば、もし谷野が自分に造反するようなことがあっても防ぐことができる。また栗野が会長であれば、谷野も山上正代の保険勧誘について、とやかく文句は言わないだろう」との、考えによるものであった。
谷本が代表取締役会長にもならず相談役を選択したのは、相談役の立場を隠れ蓑にして、影から維新銀行の経営陣をコントロールするためであった。
もう一つの理由として相談役は年齢制限や任期もなく、相談役専用の個室や車をあてがわれ、旅行や病気になってもすべて秘書が手配してくれることであった。因みに後に展開する「頭取交代劇」により罷免された谷野は前頭取であっても「ただの人」となり、相談役として維新銀行に君臨する谷本とは、雲泥の差の待遇を受けることになる。
※この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません。
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