「経営者は常に、社会や人様のお役に立てるかを考えて行動しなくてはいけない」――そんな思いを胸に抱く福岡リーダーズ倶楽部のメンバーとともに東北へ飛んだ。そして同じ言葉を東日本大震災の被災地でも耳にした。まちを襲った津波を恨まず、己のことより人のことを考えて企業再建に尽力する中小企業の経営者たち。まちを復建させていく力の背景には、そのような力強い経営者たちの姿があった。
「三陸海岸沿いに行くの? 今はもうきれいな更地になっているところもあるけどね、その何もないことが悲しいんだよ」――9月7日、盛岡市で言葉を交わした岩手県の方にそう言われた。
青森県の三沢空港に降り立ち、岩手県盛岡市に着くまでは、バスの車窓から津波の被害を受けなかった地域の風景を見ていた。
東北地方は美しい――とても素直にそう思った。九州とは違う自然体系のなかで、その地ならではの歴史が刻まれ、独特の文化が受け継がれていると感じられる。
メンバーのひとりが、「地元の教育関係者が、全国統一の教科書を使っていると、なかなか身近な文化や歴史を教えられなくて困るのですよ、と話してくれました」と教えてくれた。それぐらい、子どもたちに伝えたい故郷の宝を豊富に持っているということなのだろう。
もちろん「故郷の宝を持っている」のは東北地方だけではない。全国津々浦々それぞれの地域に在る。今回の大震災と津波によって尊い人命とともに奪われたのも、その貴重な宝の一部だ。
河口付近は土ごと抉り取られて、土地の高さがすっかり変わってしまった場所もある。
「もと住んでいた場所に戻りたくても戻れない」
「もう、以前の街並みを取り戻すことはできない」
「土地を売って移住したい。でも買い手がつかない」
そのような被災者の声とともに、被災地は置き去りにされたままだ。
"何もないこと"の悲しさは、「もう、済んでしまった」と思われてしまう辛さにも通じる。
表面上はのどかな野原にすら見えてしまうこの地を見て「ああ、もうすっかり片付いてしまったのか」と思う人すらいるのだから。
大震災後、がれき処理が行なわれていた間は、問題解決に向かって皆が忙しく動いている、という感じがした。でもそれが一段落着いたら、すっかり停滞してしまった。
そんな思いで更地を歩く。
――九州に住む私たちは、これから何をすればいいのだろう、一体何ができるのだろう――
そんなことを考えながら次の目的地へ移動する途中、鮮やかな花輪を目にした。
人気のない広い敷地に建つそれは、新しい営みに向けて第一歩を踏み出す人々がいることの確かな証だ。
これが"私たちにできそうなこと"のヒントになりそうな気がした。
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