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濱口和久「本気の安保論」

自民党新総裁 安倍晋三氏に覚悟はあるや
濱口和久「本気の安保論」
2012年9月28日 10:22
日本政策研究センター研究員 濱口 和久

<安倍氏が自民党総裁選を制す>
 安倍晋三氏が石破茂氏を決戦投票で破り、自民党新総裁に就任した。今回の総裁選は、次期総選挙で自民党が政権の座に返り咲く可能性が高いなか、事実上の首相候補を選ぶ選挙となった。安倍氏は同じ長州(山口県)出身で、首相を務めた桂太郎に学ぶべきだ。

<桂太郎に学べ>
abe.jpg 国家戦略として正しい選択をしようとすれば、国民やマスコミから「悪魔」「独裁者」呼ばわりされようが、それを実行するだけの決断力が備わっていなければならない。世界史に名を残した列強の指導者や明治の元勲はみな、正しいと思った選択を実行し、国を救ってきた。日露戦争開戦時の首相であった桂太郎もその1人であろう。

 桂はドイツの軍政や兵制を学び、明治6(1873)年12月、帰国すると同時に、陸軍に入隊し大尉に任官する。
 木戸孝允の紹介で陸軍卿(大臣)の山縣有朋に面会した折、陸軍の興隆策について質問されると、「帰国して日が浅いので何とも言えませんが、徴兵制が実現したことは欣快に存じます。後は兵士をどう訓練するかでしょう」と返答したことが、山縣を大いに喜ばせた。 
 なぜなら山縣が徴兵制を発布した張本人であり、ドイツの兵制を学んで帰国した長州出身の後輩である桂が頼もしい存在に思えたに違いない。
 以後は山縣の引き立てもあり、桂は順調に昇進を重ねていく。日清戦争には名古屋の第3師団長として出征し、台湾総督を経て、第3次伊藤・第1次大隈・第2次山縣・第4次伊藤内閣の途中まで陸軍大臣を務める。明治34年6月、山縣の後ろ盾で首相に就任すると、翌年には日英同盟を締結する。

 桂内閣は日英同盟をバックに、ロシアに朝鮮半島からの撤退を強く要求する。しかし交渉は決裂し、明治37年2月、日本はロシアに宣戦布告し、日露戦争の火ぶたが切られた。
 この頃、日本の政治・軍事指導者のなかで、ロシアとの戦争に自信を持っていた者は皆無に等しかった。ロシアと一戦を交えれば、明治維新以来、営々と築きあげてきた日本を崩壊に導きかねない。だからといって、極東における野放図なロシアの進出をこのまま見過ごしておけば、将来取り返しのつかない事態になる恐れがあるとの判断のもと、日本は開戦したのである。
 日露戦争は、旅順の203高地をめぐる激戦、遼陽や奉天の会戦が示すように一大消耗戦であった。戦死傷者数は膨大な数にのぼり、兵力補充が極めて困難な状態にまで追い込まれた。戦費も17億円(日清戦争の戦費の約8倍)に達し、桂内閣は国家財政規模の2年分以上を戦費に充てた。人的にも戦費の面からも限界に達し、これ以上の戦争継続は不可能に近かった。
 桂内閣は、ロシアと戦争を続けるだけの国力は残っていないことをあえて国民に公表しないまま講和に踏み切ったため、賠償金は取れず、割譲されて得た領土が南樺太だけという結果に、国民の不満が高まった。

 日露戦争が終結した明治38年9月5日、日露講和(ポーツマス条約)に反対する国民大会が東京・日比谷公園で開かれた。大会は大混乱となり、暴徒化した国民は、政府系新聞社、交番、キリスト教会などを焼き打ちした。これが「日比谷焼き討ち事件」と言われるものだ。講和反対国民大会は全国各地に拡がっていった。この時、桂内閣は東京に戒厳令を敷き、軍隊を出動させて鎮圧する厳しい行動に出る。
 日本はなぜロシアと講和するのか。勝っているはずの日本が、なぜ徹底的にロシアを叩かないのか。国民が不思議に感じ、桂内閣の対応を弱腰だと批判するのは、無理からぬことではあった。
 「日比谷焼き討ち事件」の責任を取って桂は首相を辞任するが、その後も2度にわたって首相に就任する。第2次桂内閣の時代には、韓国併合や関税自主権の回復による条約改正の業績も残している。

<失敗は許されない>
 自民党が政権を奪還すれば、安倍氏は2度目の首相を務めることになる。安倍氏には前回の首相時代の反省を踏まえ、強力なリーダーシップを発揮して、拉致、米軍普天間基地移設、竹島・尖閣諸島問題などに取り組んで欲しい。


<プロフィール>
hamaguti_p.jpg濱口 和久 (はまぐち かずひさ)
昭和43年熊本県菊池市生まれ。防衛大学校材料物性工学科卒業。陸上自衛隊、舛添政治経済研究所、民主党本部幹事長室副部長、栃木市首席政策監などを経て、テイケイ株式会社常務取締役、国際地政学研究所研究員、日本政策研究センター研究員、日本文化チャンネル桜「防人の道 今日の自衛隊」キャスター、拓殖大学客員教授を務める。平成16年3月に竹島に本籍を移す。今年3月31日付でテイケイ株式会社を退職し、日本防災士機構認証研修機関の株式会社防災士研修センター常務取締役に就任した。『思城居(おもしろい)』(東京コラボ)、『祖国を誇りに思う心』(ハーベスト出版)などの著書のほかに、安全保障、領土・領海問題、日本の城郭についての論文多数。5月31日に新刊「だれが日本の領土を守るのか?」(たちばな出版)が発売された。 公式HPはコチラ


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