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コダマの核心

激変木材業界の象徴【日進逝く】(2)
コダマの核心
2012年10月 4日 09:43

<直需市業界の牽引車>
 創業者・松永篤氏にはユーザー(工務店)のオヤジたちの期待が大きかった。日進木材市場の設立にあたって有力工務店が出資してくれた。当時はそれだけ直需木材市場に対する関心が高かった証拠であろう。出資してくれた我が会社のために木材を購入してくれる。また親しい同業者を紹介してくれる。そうなると新規顧客が増え売上が伸びていく。売れるところに木材業者・製材業者は物を流すようになる。自然と「日進木材市場は凄い」という評判が立ち、視察を目的とした来客数も増えていく。

日進 昭和50年代(1975年~84年)の経営環境は非常に恵まれていた。住宅着工戸数も順調に伸び、地場の工務店もコンスタントに受注をこなしてくれた。在来工法の住宅が増えれば同社が賄う木材商品が大量に流れる。売上50億円に迫る勢いの時点で、直需木材市場ではトップの地位を築いた。当時の日進木材市場を模倣して直需木材市場が九州各地に広がっていった。同社は、そのパイオニア的存在であった。

 振り返ると、当時の日進木材市場にとって直需市場のピークは1985年前後であった。その頃、多少の不良債権の発生があっても松永篤氏には笑って対処できるほどの余裕があったことを記憶している。同氏の傑出したところは出資者の株を当時の会社評価(およそ額面の10倍)で買い取ったことだ。事業の継承も考えていたうえでの策だったのだろう。「松永社長のやることは剛毅だ」という評判が立った。

<大口業者への依存の致命的な依存>
 直需市場の業態で「日進木材市場の業績のピークを1985年」と断じる。このあたりを境にして構造の変化が生じてきた。従来の地場工務店の力の陰りが歴然としてきたのである。取引量の多い先は業界用語で「建屋」と呼ばれていた建売業者の下請け工務店であった。この「建屋」の10社で同社の売上の40%を占めることになった。リスク債権には無頓着であった松永篤氏も神経を使い始めた。

 「建屋」へ発注している住宅会社へ活路を見出そうとしていった。その新規開拓先が大蔵住宅であり、興栄ホームであった。一方では、平成の時代に突入したこともあり、1990年2月に『(株)ニッシン』に商号変更した。松永篤氏も「木材市場の時代は終わった」という認識があったのだろう。住宅に対する施主のニーズが大胆にチェンジしてきた。市場での固有の扱い商品「銘木」、「ヒノキ柱」などへのこだわりが皆無になってきたのだ。「住宅に関連する資材全般の販売が必要だ」ということで商号変更に踏み切った。

 上記の大蔵住宅と興栄ホームは犬猿の仲である。両社との付き合いの両立には微妙な気配りが求められていた。創業者が神経をすり減らして疲れた様子を幾多も目撃したものだ。神経すり減らしの結果、売上増につながったが、同社の「特定先への依存偏重は防ぐ」という販売戦略から逸脱してしまっていた。恐るべき事態が襲ってきた。二大取引先の倒産劇である。興栄ホームは1992年11月、大蔵住宅は翌年2月に倒産した。そして、「ニッシン危うし」という信用不安が流れた。

(つづく)
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