文芸評論家の小川榮太郎氏『約束の日 安倍晋三試論』である。この本は音楽評論家でもある小川氏が初めて手がけた政治評論だという。一言で言えば、「安倍政権は、憲法改正を目指したり、官僚制度改革を行なったために、マスコミと官僚の連合軍によって潰された」ということを当時の新聞記事の論調の変化や関係者の証言によって解き明かしている。
似たようなコンセプトの本としては、最近では経済評論家で、自民党での参院選出馬経験もある三橋貴明氏原作の小説『真冬の向日葵』(海竜社)があった。この本と同様、小川著もマスコミによって自民党改革派が潰されたという論調である。そして、郵政民営化には批判的であるという点も同じである小泉・竹中路線は「保守自民党の本流ではない」という主張であり、その証拠として小泉氏が公務員制度改革には興味も示さなかったことが挙げられている。また、小泉政権とそれ以降を分けるのがこの系統の特徴で、小泉氏と自民党長老支配の産物と言われる福田康夫政権には批判的である。(私は必ずしも福田政権が悪い点ばかりだとは思わないが)
また、自民党支持の観点で書かれているためか、民主党の政治家に対するバッシングについてはさらりと流している。これが問題といえば問題だろう。それがこの小川著に大きな間違いとなって現れた。それは、小沢の秘書団が陸山会事件によって刑務所に入ったと書いてある(82ページ)という点だ。これは明らかに間違いである。
小川氏にしても三橋氏の安倍・麻生・中川を再評価した『真冬の向日葵』にしても、自民党のPRのための宣伝本という側面があることを割り引いて読まなければならない。ただ、「政治とカネ」に関するマスコミのバッシングというのは巧妙であり、選択的(あの政治家に対しては叩くが、この政治家は叩かないというふうに)になされるのである、という議論については私も同感である。
当時、安倍政権を年金問題と同時に揺るがした国会議員の事務所費疑惑について、小川氏は「これまでこの種の問題は問題にならなかったのに、突然マスコミが問題にした」と書いている。そのとおりであり、小川氏があまり取り上げない小沢一郎氏の政治団体「陸山会」をめぐる問題も、これまで問題にならなかった収支報告書の記載ミスの些細な問題である。スキャンダルのハードルが下がってきたのである。
結局、「政治とカネ」は他のイシューと比べれば、どうでもいい問題にもかかわらず、それはマスコミと官僚にとっては政治家と世論を切り裂く「鋭利な刃物」として頻繁に利用される。政治家にとっては、政策で国民生活の向上という成果を出すかどうかが重要であり、それは思想の左右のいかんを問わない。それを阻害しているのが、「政治とカネ」である。政治家のイデオロギーの上に超然として君臨しているのが日本の官僚機構である。ただ、小川は小沢一郎についはあまり深く述べていない。この点について知りたければ、同じく文芸評論家の山崎行太郎の『それども私は小沢一郎を断固支持する』(総和社)を読むべきだろう。
小川榮太郎氏の『約束の日』では、2006年に生まれた安倍政権の誕生から瓦解までが時系列とイシュー別(教育基本法改正、国民投票法、安倍の健康問題など)に論じられている。細かい点はいろいろあるが、ここでは述べない。
この本で重要なのは、官僚が理念型の政治家に対峙する場合、何らかの「防御装置」を発動させ、官僚がコントロールしがたいと思った政治家に対しては、マスコミへのリークや、野党へのリークを駆使して、国会論戦の報道やテレビなどの編集しやすい媒体を通じて、国民に対して印象操作を行なうということが、三橋、小川、山崎の三者の著作、そして、海外ではカレル・ヴァン・ウォルフレン氏の著作を通じてさらに明らかになったことである。
自殺した松岡利勝農水大臣の問題は別にして、「消えた年金」問題については、野党の国会質問の内容があまりに詳細であったことから、「これは官僚からのリークだ」、「社保庁の自爆テロだ」という指摘が当時からなされた、と小川氏は述べている。その根拠として、小川氏はこの問題はメディアが最初に報じてから、マスコミがバッシングに使い始めるまでのタイムラグがあることを指摘している。これは小沢氏の陸山会問題についても同じで、政権交代直前という実に絶妙なタイミングで秘書の逮捕が行なわれていた。
官僚にとっては、自民党、民主党の双方を自分たちの既得権を破壊する「公務員制度改革」に着手させないということが組織の自己防衛として、極めて合理的な選択(ラショナル・チョイス)である。そのためには、政治家同士が与野党でスキャンダルをめぐり泥仕合を繰り広げることや、くだらない些細な失言問題で大衆の感心をそらすことを狙う。そのためにはマスコミという「道具」は官僚にとっては重要な役割を果たす。
官僚とマスコミの関係とは、取材される対象と取材する側の関係であるが、取材する側は紙面や番組を埋めるために、官僚側からの報道発表文に依存している。情報を出す側が情報を選択的・差別的にリークすることでマスコミが官僚にコントロールされるのだ。日本の記者クラブに属する記者はこういう官僚からの情報コントロールというものにどっぷりと使っている。
大手新聞社の地方支局では、警察署がおもな取材先だが、そこでは広報担当の副署長が事件、事故の報道のネタを集めに来た支局記者たちを情報をどのように提供するかによってうまくコントロールする。記者の資質もあるが、たいていは地元紙の記者や読売の記者に詳しく情報を教え、朝日や毎日は冷遇するという構図になっている。警察副署長によるそのような「情報コントロール」という洗礼を受けて数年間、この構図にどっぷり使って支局記者は本社の政治部に出世していく。
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<プロフィール>
中田 安彦 (なかた やすひこ)
1976年、新潟県出身。早稲田大学社会科学部卒業後、大手新聞社で記者として勤務。現在は、副島国家戦略研究所(SNSI)で研究員として活動。主な研究テーマは、欧米企業・金融史、主な著書に「ジャパン・ハンドラーズ」「世界を動かす人脈」「プロパガンダ教本:こんなにチョろい大衆の騙し方」などがある。
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