<実務能力が現代革命家の必須資質>
このシリーズの最初に登場した飯田哲也氏(先達ての山口県知事選に立候補、環境エネルギー政策研究所)は、自然再生エネルギーを波及させる『エネルギー革命論者』である。市民一人ひとりが再生エネルギーを活用して、新たな21世紀の生活基盤を構築できるかを説く。素人の我々が聞いても「なるほど、なるほど」と了解できる。同氏は再生エネルギー循環型の生活ぶりを具体的に提起できる能力を具備している。
樋渡市長も同様の能力を有している。樋渡市長は、自治体経営について「役所を経営して税収と人口を増やすことです」とシンプルに語る。そして何よりも行政運営のイロハに精通している。『自治体組織運営の実務能力』に秀でているということだ。2006年、樋渡市長の就任を受けて、「新市長の下では楽ができない」と、怠け者の職員たちの退職が相次いだようだ。だがその後、生え抜きの前田敏美氏を副市長に抜擢し、武雄市の行政組織を上手にコントロールしている。「武雄市に就職する人は皆、優秀だ」と褒める。"すべて"を心得ている。
<時代が「樋渡市長」を求めている>
辺境の地ではないが、佐賀市でも樋渡市長が誕生した7年前の1999年3月に木下敏之氏が39歳の若さで市長に選ばれた。樋渡市長と同様の経歴である。東京大学法学部を卒業して農林水産省に勤務していた。6年半の佐賀市長在籍中に辣腕ぶりを発揮して(改革の腕)を振るった。しかし、現在の佐賀市には、木下市政時代の改革の遺産は欠片もない。やはり佐賀は保守王国である。個人力では限界があった。木下氏は個人的には人間味が欠ける欠陥もあった。しかし、短期政権に終わったのは、登場する時代が早すぎたからだ。
その点、樋渡市長は、傑出した『決断と実行力の人』であるが、『時代にも恵まれた人』と評することができる。ネットで世界に発信できる時代を有効に活用している。辺境の地・武雄から、少なくとも日本全国へ樋渡市政の現実を見せているのだ。市長就任当初は悔しい思いした。全国各地で名刺交換した人たちから「有田や嬉野は知っているが、武雄ってどこに存在しているの?」と問われることが度々であった。その屈辱もバネにしたのか、今や「武雄市」というブランドが確立されている。
ネットツールを駆使して情報発信を続けている樋渡市長だが、最近ではネット通販にも果敢にチャレンジしている。武雄市産の名産・企業の売り出し物を市のネット市場で売り買いのサポートしているのだ。「地元の活性化は、企業が儲かってこそ実現するものである」という樋渡市長の信念は揺るがない。農産品がネットを通じて高く販売できた経験が農業生産者に自信を与えているそうだ。「武雄市の戦略的産業は農業だ。ネットを通じて全国ブランドに仕立てればいいことだ」と断じる。市役所がネットビジネスをサポートしている。やはり樋渡市長は、『時代の寵児』といえる強運を抱いている。
樋渡市長は「今ほど、自治体経営が遣り甲斐のある時はない。なぜならば前例が活かされない時代になっている。首長一人ひとりの能力次第で繁栄する自治体、潰れる寸前の自治体と明確化されるようになった」と言い切る。「樋渡市長クラスの首長が日本に何人現われば変革が進むか?」と質問すると、「全国の自治体で1割ほど出現すれば日本も少しはマシになるのではないか」という樋渡市長。いつか、他の変革首長たちと、自治体経営のコンテストで競い合う日も来るのではないだろうか。そうした期待さえ抱かせる頼もしさを感じた。
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