「タネはまいた。それをどう育てるか」(古川元久前国家戦略室担当大臣)とはよくぞ言ったりだ。3年前の政権交代で「革命だ」と有頂天になり、外交から内政まで日本を混乱させた民主党政権が、最後に繰り出したのも混乱のタネ、すなわち「原発ゼロ」政策だ。党綱領も定めず風になびく習癖そのまま、票狙いのキャッチッフレーズで原発維持、容認の本音を覆うのは詐欺に等しい。マニュフェスト同様、骨抜きされてお題目でしかなくなった「原発ゼロ」に経産省、電力会社の含み笑いが聞こえそうだが、野田内閣をリードしたのは国家戦略室「Kチーム」。その司令塔を務めたのが二人の経産官僚だ。
鳩山内閣の「東アジア共同体」「日米中三角形論」にはじまる日米摩擦、菅内閣の尖閣問題と「3・11フクシマ」対応の失態。仕上げが野田内閣による増税と選挙目当ての打ち上げ花火「原発ゼロ」。三代にわたる民主党政権の置き土産は「混乱」の一語。とりわけ罪深いのが原発政策だ。
野田内閣の「3・11」対応は、実態を無視した収束宣言にはじまり、止める気もないのにそのふりをした挙句の原発再稼働で国民の怒りに火がついた。7月の東京での「脱原発10万人集会」には全国から10万人以上が集まり、その後は恒例となった毎週金曜夜の首相官邸前デモが回を重ねるほどに参加者が膨らんだ。風に敏感な民主党が反応しないはずがない。原発ムラを潤すだけの除染事業に多大な時間とカネを注ぎ込む一方、選挙を控えて「脱原発」の世論にアピールすべく野田内閣が9月にまとめたのが革新的エネルギー・環境戦略としての「原発ゼロ」だった。「革新的」うんぬん自体、「不退転」や「まったなし」など大仰な表現を連発する野田らしい言い方で、当初から世論の不満や怒りのホコ先をかわす狙いが透けていた。
菅内閣を引き継いだ野田は、菅が自らの失地回復を狙って打ちあげた「脱原発依存」を継承したものの、本音が別にあるのは、先に述べたようにやることなすことが世論の反発を浴びてきた通りである。そこで国家戦略室に担当大臣の古川を議長とするエネルギー・環境会議(エネ環)を設け、脱原発のシナリオ作りを丸投げした。財務官僚出身で米国留学経験もあって「新しいもの好き」(内閣官房担当記者)の古川は、菅内閣時代に一時的に国家戦略室長に就いたものの生煮えのまま退任。今回は初めての大任とあって、傍目にも「喜々として取り組んでいた」(前出記者)ようだ。(敬称略)
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<プロフィール>
恩田 勝亘(おんだ・かつのぶ)
1943年生まれ。67年より女性誌や雑誌のライター。71年より『週刊現代』記者として長年スクープを連発。2007年からはフリーに転じ、政治・経 済・社会問題とテーマは幅広い。チェルノブイリ原子力発電所現地特派員レポートなどで健筆を振るっている。著書に『東京電力・帝国の暗黒』(七つ森書 館)、『原発に子孫の命は売れない―舛倉隆と棚塩原発反対同盟23年の闘い』(七つ森書館)、『仏教の格言』(KKベストセラーズ)、『日本に君臨するも の』(主婦の友社―共著)など。
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