<谷野頭取包囲網(21)>
堀部の妻は、父親を昨年9月に心不全で亡くしたのに続き、母親も多発性骨髄腫ため益田赤十字病院に入院していた。妻の実家は島根県鹿足郡日原町(森鴎外を輩出した津和野町と2005年合併)にあり、近くには公開天文台の先駆けとなった日原天文台があり、清流日本一を誇る高津川にそそぐ津和野川のほとりある集落の一角にあった。一人娘の妻は付添いの看病のため、JR山口線で実家近くの日原駅と益田日赤病院がある益田駅とを毎日往復する生活を続けており、既に半年近く北九州市の自宅に戻っていなかった。
堀部は行事のない休日は日原の妻の実家に帰るようにしており、小倉支店50周年の懇親会が終わった翌日の10日(土)の早朝、車で3時間かけて日赤病院に向かった。医者から末期症状が出ており、いつ危篤状態に陥るかわからないとの説明を受け、妻は病室で寝泊まりするようになっていた。日曜の夕方堀部が一人帰るのを見送る義母は、
「正道さん、ありがとう」
と、痛みをこらえて礼を言った。堀部は、
「また来るからね。おばあちゃん早く良くなってね」
と言うのが精一杯で、今生のお別れとなるかもしれないと、万感胸に迫る思いを抱いて病室を後にした。
それから5日後の16日、義母は帰らぬ人となった。
そのため堀部は喪主となり、17日に通夜、18日に告別式、お寺への挨拶や葬儀を手伝ってもらった町内会の役員への挨拶廻りなどがあり、忌引きの休みを3日間取ることにした。そのため19日に北九州支店を訪れた山上外務員とは会うことができず、茂木次長と国井課長の連携によって保険契約は成約となった。後日、堀部に第五生命の山上外務員からお礼の手紙が届いた。
※この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません。
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