<谷野頭取包囲網(23)>
6月1日に役員を含む人事異動が発令され、松木は北部支店長から東部支店長に、堀部は小倉支店長から常盤支店長への転勤辞令が谷本頭取より交付された。
堀部は6月4日(月)の早朝、門司の社宅から自家用車で高速道路を利用して、予定よりも早く8時前に常盤支店に到着すると、吉沢支店長も既に出勤していた。
常盤支店は、太平洋戦争が始まる直前の1939年に常盤銀行本店として建築された古い建物であった。常盤銀行本店は、1944年3月、大蔵省主導による地域金融機関大合同により、百六十銀行を存続銀行として常盤銀行ほか西部県内の金融機関6行の合併によって誕生した維新銀行の宇部支店となった。常盤銀行本店の設計を手掛けたのは、村野藤吾氏といって、地元を代表する常盤興産の常盤記念会館を設計し、常盤興産の全幅の信頼を得て常盤興産の本社ビルなど、常盤市内の主要なビルの設計に携わったことによって、著名な建築家として名が知れ渡ることになった人物だった。
しかし築後60年を経過した常盤支店は老朽化が激しく、母店のなかでは、東部支店と共に建て替えが何度も検討された。しかし、移転候補地が決まらず計画は延び延びになっており、常盤支店の建て替えは歴代支店長の最大の懸案事項であった。
朝礼で新任の常盤支店長として挨拶を終えた堀部は、常務取締役西京支店長に昇格した吉沢忠と一緒に9時過ぎから取引先への訪問を始めた。
支店長交代の挨拶に最初に訪問したのは、常盤市を代表する常盤興産本社であった。常駐の河本専務との面談を終えて、敷地内に点在する常盤興産の関連会社へ挨拶に回った。
次に公務の都合で11時30分にアポを入れていた松谷市長および縄谷助役・金井収入役の三役との面談のため、常盤市役所に向けて車を走らせている時、吉沢常務が空き地を指さし、
「ここが常盤支店移転の候補地で約千坪あり、土地の所有者は数人で、大半は常盤支店の取引先であるバス会社が持っている。買収についてほとんど問題はないし、本部も了解しているよ」
と、得意げに話した。
確かに今の常盤支店の北東150mに位置し、土地の形状も長方形で4面が道路に囲まれ、常盤市役所とは道路一つ隔てて隣接する好立地の場所であった。しかし車が進むにつれて堀部は、常盤市役所と道路一つ隔てた向かい側にある今の常盤支店から3m以上も低い位置にあることがわかり、「計画を白紙に戻そう」と心の中で決めた。堀部は、「都市では1時間当たり50mmの最大雨量を想定しているが、今から長い歴史を刻む常盤支店は100mmのゲリラ豪雨にも耐えられる場所でないといけない」との強い信念を持っていた。この移転計画を白紙に戻す堀部の決断が、吉沢との関係を悪化させる1つの大きな要因となった。
※この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません。
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・「維新銀行 第二部 払暁」~第1章 谷野頭取交代劇への序曲(1)
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