<アカデミーが政策力を増さねばならぬ>
――誰が原発の将来に関するルートマップを示すのが、一番良いのでしょうか。というのは、政府の信頼度は限りなく下がっていますし、原子力村のオーソリティたちも信頼がなくなってしまいました。では、誰がどうリーダーシップをとってやるのが最良でしょうか。絵を描いて、その絵を実行に移す部隊は、どうするべきなのでしょうか。
吉岡 経産省には、その能力はおそらくないでしょうね。結局、利害に固まってしまっていますから。ですから、やるとすれば、アカデミズムだと思います。大学、研究機関の人々が集まって意見をするということが、ベストだと思います。米本昌平さん(東大先端科学技術研究センター特任教授。科学史・生命論)とお話ししたとき、彼は日本ではアカデミーが機能していないと嘆いていらっしゃいました。霞が関ばかりが政策をつくり、アカデミーは周辺的な研究ばかりをしている、と。アメリカなどでは、アカデミーが政策論における共通の知的基盤をにぎっています。だから、再生可能エネルギーにしてもいろいろな、世界的に通用するような政策が生まれてくるのです。日本は、霞が関がすべてを握っています。そのため日本のアカデミーは、政策論を自分でやろうとしません。言ってもどうせ霞が関が否定すればそこまでだから、企画能力がアカデミーで貧困になっているのです。それを何とか活性化して、政治が受け入れるということが大切だと思います。私が米本さんに同意し嘆いていますと、米本さんからお叱りの言葉をいただきました。嘆いている場合ではない、そういうチャンスのときこそ、アカデミーが売り込みにかかるべきだとおっしゃいました。依頼が来ないからと不平を言っているのは違うだろうということです。私も反省し、そのお考えに同意しました。こういうときだからこそ、アカデミーの方から政策の売り込みをしなくてはならないと強く感じましたね。
――信用できるところがないならば、これまでやっていなかったところがやるしかありません。とはいえ、専門性が高すぎますので、一市民が未来図を描くことは不可能ですし、ましてや実行などできません。でしたら、アカデミーの専門家集団が陣頭指揮を執るしかないように思います。その方々が諮問機関ではなく、実行部隊として原発政策を仕切らなくてはなりません。やるかやらないかの采配を政治や行政に任せていては、結局はさまざまな利権にまみれてしまいます。実行部隊として、そういう動きを、ぜひ、先生をはじめ見せていただきたいと思います。
吉岡 「原子力規制委員会」が産声を上げましたが、「規制」というのは、事業が存在するという前提のうえに成り立つ言葉です。私がもし責任ある立場に置いていただけるのならば、「原子力廃止委員会」を立ち上げたいですね。ソフトランディングさせるために一定期間の稼働は必要になるでしょうが、それでも、より多くの人が納得いくかたちで、原発問題の解決を図らなくてはなりません。再生可能エネルギーに関する政策も、きちんと決めていかなくてはならないと思います。
――本日は貴重なご意見をいただき、誠にありがとうございました。
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<プロフィール>
吉岡 斉(よしおか・ひとし)
九州大学副学長。1953年富山市に生まれる。東京大学理学部卒業。現在、九州大学にて教鞭を振るいつつ「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」(政府事故調)のメンバーとして活躍。近著「新版 原子力の社会史 その日本的展開」(朝日新聞出版)など。趣味は登山。
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