<政治家が「方向性」を示し、「結果責任」を負う!>
――正直、国民は民主党に期待しました。その結果、300を超える議席が与えられたのだと思います。憲政史上、初めてといっていいほど、大きなできごとでした。今となっては裏切られた気持ちがありますが・・・。
小沢 300以上の議席を国民から「民主党」に与えられたわけですから、国民の生活が第一という当初の民主党のスローガンに基づき、税制改革、公務員改革、自治体の改革などすべてができたのです。しかし、それができなかった大きな原因は、政治家としての「結果責任」を負うことから逃げたことにあります。
政治家は、自分のたちの思ったことをやり遂げるためには、自分たちで提案し、その「結果責任」を負う必要があります。それは、とても厳しいものです。民主党の人たちは、その「結果責任」を負うのを嫌いました。逃げたと言っても過言ではありません。責任をとりたくないので、役人に丸投げしました。
ところが、役人も政治家が責任を取らないのであれば、手抜きして、いい加減な仕事しかしません。それは当たり前で、いざという時に、責任だけ押し付けられたら、たまったものではありません。
私には官僚の率直な気持ちが耳に入ってくることも多いのですが、彼らは「政治家が方向を示し、結果責任を負ってくれるのであれば、我々はついていきます。本来、そういう職務・役目なのですから・・・」と言っているのです。政治主導と言いながら、民主党の実態は役人に丸投げです。役人は政治家ではないので責任をとれません。従って、現在の政府では、「結果責任」をとる人が誰もいないのです。
私はもう一度、やり直す意味を強く込めて、「国民の生活が第一」という新党をつくりました。マニフェストがあってもなくても、我々が目指しているものは、党名に表れており、逃げも隠れもできません。国民の皆さんには、再度信じて頂き、我々に挽回のチャンスを頂きたいと思っているのです。
――ますますお元気そうでエンジン全開ですが、その国を想う「エネルギー」や「変革」の源泉はどこから湧いてくるのですか。
小沢 私は、「政治とは生活である」と常日頃から思っています。現代社会は複雑で、国際政治、国際経済、地球環境問題など政治の対象となるテーマがたくさんあります。しかし、それらの問題は枝葉であり、一生懸命考えなければいけないのは、「どうやってみんなが豊かに幸せに、そして安全に暮らせるようにするか」ということなのです。
私はこれこそが、政治の原点と思っています。このことが、私のエンジンであり、エネルギーなのだと思います。目先の利益と妥協してしまっては、何のために政治家になったのかがわからなくなります。
私は、これまでも、現在でもよく「お前がやれ」と言われることがあります。これはとてもありがたいことです。しかし、物事を成し遂げるには「己」を捨てなくてはいけません。みんなが、総理大臣になりたい、国務大臣になりたいと言っていたのでは、絶対に大きな仕事はできません。ポジションから逃げるのではなく、「己」を捨てて、大きなことを、結果的に成就させることが私の使命と感じています。
厳しいことですが、ぜひ成し遂げたいのです。私は、与党中枢にいて、日本国家の「変革」の必要性を肌で感じました。55年体制の時の社会党は「変革」と叫んでおりましたが、本音は全選挙区(中選挙区制)で1名ずつ、合計130名当選すればよいという感覚でした。与党になるとは考えていません。政権与党になった今の民主党のなかには、その「安住」を求める体質が根強く残っているのです。
▼関連リンク
・豪腕ではなく憂国の士、小沢一郎(前)
※記事へのご意見はこちら