<橋下氏に期待されたもの>
そもそも橋下氏の人気は、これまでの政治家になかった突破力。閉そく感に包まれた日本社会に「決める政治」をもたらしてくれることへの期待感であった。現状への不満が「橋下なら何かやってくれる、変えてくれる」という期待につながり、新しいリーダーの登場に日本国民が湧いた。
「維新」を持ち出した橋下氏だが、そもそも明治維新は「倒幕」という諸藩の大同団結によって行なわれた。明治新政府設立後、それまで手を携えた維新の立役者たちは、「富国」「強兵」「立憲」などと、新しい国のかたちを決める上で何を優先するかを議論した。「倒幕」に際し、共通した認識は、迫りくる外圧に対して、対抗できる策を決め、実行できる政治体制を確立することである。日本維新の会が綱領とする「維新八策」の第一に「統治機構の改革」を持ってきている通り、日本衰退の元凶は、明治維新以来続いている東京一極集中の中央集権体制が機能不全に陥っていることだ。全国一律の施策が地方の弊害を招き、元来地方で処理すべき地方の問題の処理で外交・安全保障がおろそかとなった。
「中央集権打倒」が「平成維新」で掲げる〝錦の御旗〟ではなかったのか。真っ当な議論を行なうための環境整備こそが最優先課題である。異なる政党同士で、いくら細かい政策の擦り合せを選挙前にしても、「決める政治」にならなければ、民主党のマニフェストのような絵に描いた餅になる。「決められない政治」が生む事実上の政治的空白に国民は嫌気がさしている。統治機構の改革は国の命運を左右する大仕事。既成政党も含め、政策論争を行なう環境を整えるための選挙と位置付けることが、「平成維新」の前提とすべきではないだろうか。
2011年11月で劇的勝利を収めた大阪ダブル選(大阪府知事選・大阪市長選)で、一丁目一番地に掲げた「大阪都構想」は国を動かした。12年8月、与野党7会派が共同提出した「大都市地域特別区設置法案」が成立し、大阪都実現へ向けて大きく前進した。橋下氏は、国政進出の大目的に掲げていた「大阪都構想実現」を失った。すでに「地方が国を変える」ことを体現したのである。
準備不足の感が否めない国政選挙への挑戦。進まないどころか実現不可能な「政策一致」の連携。「合流ではなく共闘」という言葉を発しても、理解できる有権者はいない。期待から「原点回帰せよ!」という声さえ強まっている。原点とは、地方自治体でモデルケースを作り、それを真似する自治体が増えることで国全体を変えるというスタイルだ。
地方自治体のリーダーとして期待を寄せていた他の自治体首長は、維新の会の国政進出に疑問の声をあげる。一方で、橋下氏が首長をやりながら国政政党の代表を務めることに対しての批判もある。総選挙後はあらためて日本維新の会の代表を選ぶとしているものの、橋下氏再任の可能性が高いと思われ、「地方分権型は国と地方の役割分担」という考え方を示す一方、地方の首長が国会議員を従える構図となれば、明らかな矛盾が生じる。さまざまな疑問が国政選挙へと突き進む橋下・維新の会に寄せられている。
第3極を目指し、立ち上がった地方勢力だが、橋下氏が「大戦(おおいくさ)」とする総選挙は、生半可なものではない。残された道は「大同団結」か「原点回帰」か。振り上げたこぶしを降ろした先にあるのは――。最後に総選挙に際しては、国民には冷静な判断を願いたいところである。
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